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SABRINA vol.15

これほどやることがなくて時間の進みが遅く感じると、ずっと世の中が午前中じゃないのかという気にもなってくる。僕の今の気分はそんな感じ。
丸い地球がぐるっとそのまま半永久的に午前中のまま軸を保ちながらぐるぐる回り続けている感覚に近い。もしかしたら、時間に追われるほどやることがある人にしか午後は訪れないんじゃないかとすら思う。僕は無限に感じれそうな時間を更に引き伸ばすように今ベットの上で横になっている。

知らない人のために言っておくと僕は今パリのファッションウィークのためにパリの側にいて、じっとオーディションがあるのかないのか毎日待ち続けている。何かあればまだ気晴らしにもなるんだけど、今は多くの人がパリの前にあるミラノのファッションウィークに行っているので今パリのファッション業界はやることがないんだよ。
なんで僕もミラノに行かないかって一言で言うと、めんどくさい。
だって何にもないんだし、ミラノにいる僕のマネージャー達もいけ好かないのでわざわざ会いに行く気にもならなかった。僕は自分でも困るぐらい結果論が大嫌いで、自分が嫌いな人と納得いかない形で何か我慢してやってみて結果が出たら全部オーケイみたいなそんなのって本当にやってられない気分になる。それだったら行きもしないし文句も言わない連絡も取らない、逆を言えばそれ程出たがってもいないのか。気まぐれで行けるかもしれないチャンスを棒に振るあたりも短所でありながらヌルッと受け入れてパリで、暇だ暇だ、と喚いてる。

パリって何だかオシャレなイメージがあるかもしれないけど、僕の宿は全くそんなことなくて、大体日本でいうところの築60年ぐらい経ってそうな木造建築の狭い一部屋という感じ。
お金を沢山払えば何とでもなるんだろうけど、多分出稼ぎに行くモデルのヨーロッパでの生活って寂しいけど大体みんな多かれ少なかれこんなものじゃないかな。華があるのは本番の数分の間だけで、多くの人は普通にひっそり暮らしているんじゃないかな。うん、もしそうじゃなかったとしても他人のイメージと格闘し続けるのはとにかく大変そうだから僕はやらないよ。
今いるお家はとにかく何もかもが薄い。
入り口にある扉はほぼ腐りかけで本気でタックルすれば誰でも入れそうな作りになっているし、近くにある家なのか部屋なのか何なのかもわからないけど、とにかく360度至る所から人の生活音が聞こえてくる。誰かが起きて動き出すと芋づる式でみんな起きれるような、壁関係なしに空中を舞うWi-Fiみたいに何もかも顔を見ぬまま共有している。
軍隊の寮とかってわざとこんな作りにしてるんじゃないかって勝手に妄想を膨らます。

一日中ベットの上で本を読んだり勉強したり映画を見たり、同じようなことを日本でもしているのに自分の落ち着かない環境にいるだけでそれって最悪な気分になるのが不思議。
でも路地裏でステーキを食べても確かに美味しくはないから当たり前と言えば当たり前なのか何なのか。とにかく精神的にそれほど衛生に良い場所にいるとは言えないかな。

何か無理にでも日本より良いことをあげるとすれば、いつも何となく見たり読んだりしている作品がなお一層身に染みていく感覚になれる。常に鬱屈した気分だから感受性がいつもより豊かになっているような錯覚が起きる。ただ暇なだけなのに。
もし左的でセンセーショナルな本を読んで、感化された経験があって尚且つこれを読んでいるであろう君が今の僕を見て分かるように、それって多分本当は暇なだけだよ。暇すぎて大きな衝撃に飢えているだけで本当はそんな物大したことないんじゃないかって思う。
最近人に勧められた本を読んでそんなことを思ったりした。

日本に対してこんな汚い部屋は嫌だと思っていたら、ファイトクラブでブラットピットはここより遥かに汚い家に住んで僕の何十倍もかっこよく見えた。
今こんなところに住んでいる僕を見て誰も彼のようなイメージはきっと抱かないと思う。せめてイギリス調のルックに着替えて石鹸でも作っておかないと誰にも伝わらないと思う。それでもわざとらしすぎるけどね。

僕がフランスに来てから体に吸い込んで印象的だったのはとある本で、タイトルは「ライ麦畑でつかまえて」というやつ。
この本に関しては僕は何度か出会いがあって、最初は中学生の頃。

当時僕は検索してはいけないワードとか何とかセンセーショナルな作品を調べては見たり感じたりして、まぁ要するに中二病だったんだと思う。なんかそんな作品達をわかったような顔をして頷いてるだけでインテリジェンスな気分になれたんだと思う。
その並びでこの本に出会って、ネットにはジョンレノンを殺した人が愛読してただとか殺人鬼が好んで読むだとかどうとか書いていたんだと思う。その時は何だか読んでも面白いのかどういう話なのか感覚的に掴めるところもなかった記憶がある。

それでも社会人になってからまた買い直して読んだけれども捨ててしまった。
僕は上京して一年目もヨーロッパにいて、その時オーデションにいたある白人のモデルがデニムの後ろポケットからボロボロの本を取り出して読んでいた。
理由は分からないけどその情景が今でもすごく印象的でそのタイトルがまさに「ライ麦畑でつかまえて」だった。
日本の本とは違い当然洋書なので僕が持っているものと表紙が違う。
僕は洋書の表紙の方が断然インパクトがあって好きで、とにかく僕はその情景を今でも覚えてる。
それで帰国してから日本で読んでもやっぱり面白いとも思えなかったし退屈なストーリーだなと思ってすぐに捨てた。

それから2年弱経って今回パリに行く前に本屋さんによって何か遠征先で読む本を買おうと思っていた時にその情景がハッと浮かび上がった。
何でかは分からないけどその時読もうと思った。
それで不思議なのは今回読んだ時は前までの印象と違って物凄く良い作品だなと思った。
主人公は退学になって家に帰る。話はそれだけ。
人の気持ちを考えてる。それが丁寧に書かれている。それが良いと思った。
どうしたら良いかわからない時や、自分の調子がいい時や、むかついた時なんかに読んだらものすごく何か自分の中の小さなフックに気がつけるようなそんな本だと思う。それって毎日どれかの感情にはなっているから僕が印象に残っているあの情景は多分正しかった。とりあえずボロボロになるぐらいポッケに入れておけ。
とにもかくにも、僕の中の何かが変わったのか、ちゃんと読むようになっただけなのか、そうこう考えてるうちにこの宿のブレーカーが落ちて真っ暗になってしまった。

冬のパリはずっと暗いから時間を見ないと今が朝なのか夜なのかも部屋の中にいるだけではわからない。
勝負をしてて毎回思うのは成功するってすごい価値があってカッコいいことだなって思う。僕よりずっとすごいモデルの人も日本人にはいてね、その人たちって本当に凄いんだなって思う。僕は怖すぎてカッコつく辞め方しか考えれてないだけだから。別にこの業界でも同じことは言えると思う。
僕って側から見たら格好が悪いかな、こういう沈んだ気分になると露骨に、自分って何だろうな、何ができるんだろうな、と思ってみたり、物凄く過剰なビジョンを持った人のドキュメントを見たりする。
それってなんか凄いダサいような気もするんだけど、どうやったら自分が引っ張り上げられてどうやったらこの先何もかも理想通り動かせるようになるんだろうって真剣に考える。それを何回も何回もイメージして夜まで続く午前中を消費していく。
作品を見て、僕と同じだ、と思うのも、今はこうだけど僕はこうなる、と思うのも自由で、だからどんな作品もある程度名作であれば人を殺す要素になって人を助ける要素にもなってると思う。
作品は意思を固めることがあっても自分の決断をを超えない。
簡単な話で、本はジョンレノンを殺さない。

ファッションショーのために来たんだったらそれに出ないと午後が来た感覚にはならなそうでそれもそれで何だか退屈な気分になる。

2024/01/09 AM15:08