夢のアリーナは、自分で決める
今回はこちらのアンサーnote。
観に行ってきました。
ホームチームは琉球という、すごいクラブ、強いチーム、立派なアリーナ。
仙台から沖縄への道中ではそこに至るまでの、様々を紐解きながら。
沖縄バスケの流れ
系譜を辿ることのできる貴重な連載。
なぜか到着後の那覇空港で読むという。
自分は沖縄の人間でもなく、かといってbjリーグ時代から熱心に応援しているわけではないのであまりバスケに明るいわけではないものの、この連載を読むに、今の沖縄バスケの流れが沖縄市を中心にして拡がっていることは感じ取れた。
背景には先代の指導者の尽力もあり、また基地から流入するNBAなどのアメリカ文化の影響も多分にあり。
琉球も沖縄市をホームとする流れもまた、自然なことだったと感じる。
琉球自体が県内初のプロスポーツだったことを考えると、県内スポーツに対するバスケの影響力の大きさもうかがい知れる。
少し話が他競技に逸れてしまうが、昨シーズン限りで現役引退した小野伸二さんが2019シーズンから1年半所属していたのが(サッカーの)琉球。
なぜ琉球へ移籍したのか?という背景を紐解くと、「沖縄をサッカー王国にしたい」という想いが読み取れる。
逆をいうとここには、「沖縄はバスケ」という認識も強いのだろうとも感じ取れる。
実際に自分も仕事の関係で琉球のスポンサーを伺う機会があって、ふとスポーツの話になったときに「沖縄はやっぱりキングスだよ」と堂々と話されていたことが印象深かったし、今でも思い起こされるストーリーでもある。
複雑な背景を持つアリーナ
沖縄バスケの歴史のなかで、沖縄市などの中部地区がその胎動に寄与しているのだとすれば、沖縄アリーナが沖縄市にあることもまた、必然といえた。
語弊なくいえば、沖縄アリーナは「犠牲の代償」でもあるから。
これは自分自身がそう思っているというよりも、沖縄アリーナの概要がそれを物語っている。
そのハードを使うソフト(琉球)という結果もまた、バスケを根付かせたアメリカ文化だったり、基地があるという歴史が生んだものだったのかもしれない。
こういうストーリーを知ると、もう一つ重なることが出てくる。
福島県にある「Jヴィレッジ」。
原発というある種の「犠牲の代償」として、東電がつくった施設。
そしてそのハードとともに、ソフト(女子サッカーチーム)も生まれた。
そして2011年。
バラバラになった。
Jヴィレッジは使えなくなり、サッカーチームも去らざるを得なくなった。
それでも今になって振り返ると、Jヴィレッジは復活し、近隣のいわき市には周辺地域をホームタウンとする男子サッカーチームが生まれた。
原発という、スポーツとは一見関係ないところから、地域の紆余曲折が浮かび上がる。
「こじつけだ」と思うかもしれないが、いわゆる「沖縄と福島」は各所で語られているトピックでもある。
「琉球VS仙台」というカーディング
2011年の震災は、原発事故だけではない。
震災で先の女子サッカーチームが活動停止した。
その他の地域でもスポーツチームの活動停止が起こった。
バスケの仙台もまた、そのひとつだった。
個人的にはじめて仙台と関わったのは、何を隠そう2010-11シーズンだった。
当時のホームアリーナは仙台市体育館(現:カメイアリーナ仙台)。
1階席から観るコートの近さ、そして熱い応援。当時は応援しているひとのことを「ブースター」と呼んでいて、熱く、温かい雰囲気のあるアリーナだった。選手の皆さんもほんとうにメディア対応やファン対応が丁寧だった。
今と違って満員の観客動員ではないし、経営は綱渡りだったかもしれないが、関わる人々が熱を持って、クラブ支えていた。
あのとき「はっ」とした感覚を、おぼろげながら今も忘れられない。
「ああ、一生懸命で、いいクラブだよね」
今もその名残を感じようと、アリーナに通っている。
今実際に通って思うのは、ゼビオアリーナをホームアリーナとして立派に使っていること、そしてカメイアリーナをレジェンダリーなアリーナとして使っていること。
この文脈がなぜか自分にはしっくりくるストーリーではある。
一種の自惚れかもしれないけども、自分とクラブの関係性を考えたときに、過去の出来事をなかったことにはできないから、許してほしい。
あの震災以降、いろんなことがストップしてしまって、自分自身も数年後のシーズンに関わりを再開するまで、仙台の情報のほとんどが入って来なくなった。
まさか、なくなりそうになっていたなんて。
地元にいたけれども、もういろんな悲惨なニュースが多すぎて、記憶の中で埋もれていた。
選手は一旦は他クラブに救済されたものの、2011-12シーズンを迎えられるのか、何も分からなかったことを。
そして今更知る、今の仙台の社長が当時、琉球に救済されたことを。
あの2010-11シーズンに何かを持ち帰って来たのか、それとも以降のクラブ間の交流などで感じ取ってきたのかはわからないけれども、きっと仙台は琉球を追いかけているのだと思う。
だからこそ、琉球の選手が何名も仙台へ来たり、現ヘッドコーチがお互いの古巣だったりするのだろうから。
そんなこともあって、このカーディング、どうでもよくないわけだ。
同じようなことはここでもちらっと触れてみたり。
先に設立されたのは仙台だけど、今となっては圧倒的に琉球のほうが経営規模も実力も遥かに上。
bjリーグのときは、同じ県内の他競技比較ではなくあくまでも同じリーグのチーム同士として、もしかしたらイーブンに近い感じだったのかもしれないけども。
Bリーグになってからはむしろ、仙台が琉球の背中を追いかけている。
そんな雰囲気をひしひしと感じる。
いつも、琉球のすごさを見てしまうと同時に、なんとなく惨めな気持ちになってしまうことも事実。
羨ましくて、なんだか苦しくなる感じで。
自分はいいなと思っているものがあって、それは唯一無二のものなのに、別の似たようなもの(ここでは同じバスケチーム)を比べてしまうと、つらい気持ちになってしまうのと、動揺してしまう気持ちになってしまうのと。
夢のアリーナの意味
そんなことばかりずーんとなっていても、だめなんだなあと。
肝心なのは、どんなときも試合だ。
勝負事だから、負けるかもしれないけど、勝つかもしれない。
100%、負けるとは限らない。勝つことだってある。
琉球はすごいクラブかもしれない、強いチームかもしれない。
こんな大したことないにわかファンかもしれないけど、仙台もすごいクラブ、強いチームに押し上げたい。
なんとか、なんとか押し上げたい、
だからせめて、申し訳ないけども仙台を応援させてほしい。
圧倒的なホームアドバンテージを前に、アウェーの応援なんてか細く聞こえてしまうかもしれないけれども、それでも応援させてほしい。
ついでに気管支の調子が悪くて、うまく声を出せないターンがあったのは許してほしい。
負けた。
それはもう語弊なくいえば、ボロボロに負けた。
応援に夢中で正直、試合内容覚えてないけど、少なくともあまりいいところ見せられずに終わった感が強い。
それでも最後は勝っても負けてもいつものように、小林選手がちゃんと挨拶しているところ、家族も号泣していた。
彼はプロフェッショナルだ。
昔に観ていた仙台の選手と同じ。
移籍してくれて感謝。
とはいえ、行って正解だった。
メディアが推していることもあってか、沖縄アリーナを見るとどうしても他チームのファンとしては劣等感が拭いきれなかったし、実際行ってすごさは実感したけど、一方でやっぱりゼビオもカメイもいいって、心からそう思えた。
これが自分には意外でもあった。
そしてここまで琉球というクラブと沖縄アリーナすごいの大合唱をしすぎてしまって、自分が応援しているチームを下げてしまっている気もしてるけど、結局あんまり比べすぎないほうがいいのかなとも思った。
なぜなら、クラブ、チーム、アリーナ、ファンの関係性は、どのクラブも唯一無二だから。
そしてファンからすれば、アリーナの関係性もまた、個別具体のストーリーで成り立っているから。
自分の場合は、2010-2011シーズンの仙台市体育館だし、2012-2013シーズンのゼビオアリーナ仙台の原風景をただ、追いかけているだけだから。
そうすると、アウェーに行くと羨ましいなあと思うトピックやコンテンツがあっても、自分自身の唯一無二のストーリーを創り上げたホームアリーナにすべて代えられるわけでもないのだなあと。
そういう、どこかエッセンシャルなことを強く実感できたという意味では、立派なアリーナを体験できたことよりももっと重要な体験だったような気がした、2023年のクライマックスだった。
後記
普段はマッチレビューや観戦記みたいなものは書かないのですが、行く前の予想では「沖縄アリーナ、激ヤバ!」みたいな感じで終わるのかなあと思っていたところ、実際は「なんだかんだ言って、人それぞれのホームが一番なんだろうなあ」という感情を意外にも持ってしまい、まとめたい想いが出てきたので、書いてみることにしました。
(ちなみに誤解なきようお伝えすると、沖縄アリーナは激ヤバでした。それはほんとに嘘偽りないです。)
ただ、テイストはどんなふうに書くか悩んでしまい。
なぜなら、「良かった!」「楽しかった!」「すごい!」という内容では、誰も読んでくれないのではないかと…汗
実際のところ、すでにいろんなアウェーチームのファンの方が沖縄アリーナレポを出していますから、正直ワタクシが書いたところで、力不足感否めず…。
結局は自分との関係性(ストーリー)を綴ることしかできないとなり、このようなテイストになりました。
琉球へのリスペクトと、好きなチームとしての仙台へのリアルな感情が入り乱れる文章のため、できる限り表現には配慮していますが、もし至らない点があった場合はご了承ください。
2024シーズンの球蹴り観ると決めたので、最近は球蹴り系のコラムとかエッセイとかよく読むのですが、やっぱりなんというか、こういう記事は導入の仕方とか、余韻の残し方とか、いろいろと参考になります。
バスケももしかしたらこういう文章、あるのかもしれないですが、あんまり見たことがありませんので…。(球蹴りのはなしですみません…。)
決め手は文章の構成と物事の背景をどこまで書けているかなのかなと感じてもいて、ピシッとした文を書けるように参考にしたいところです。
どんだけヴェルディ引きずるんじゃいって感じですけども、もう自分のなかではいわゆる「定点観測」するセカンダリーチームに昇格しました。
ちゃんと応援するプライマリーチームの牙城は崩せませんが汗、ライトに追っかけさせてくださいな。
知れば知るほど芯のあるクラブで、結構楽しみにしてます。
って、なんか球蹴りでクロージングしそうになってますけれども汗、2024年も5月までのシーズンはバスケも観ます。
北陸のほうは余震が続き、びくびくする日々が続いていると思います。
普段の心持ちすぐ戻るのは難しいですが、少しずつ確実に戻っていくので、まずは身の安全第一です。
備忘録。
翌日元旦ゲーム終盤、フリースローラインの阿部選手の目つき。
また変わったなあと。
そして珍しく?、GAME2バウンスバックして、劇的幕切れ。
昨シーズンの島根戦みたいな展開。
がっかりGAME1からの、意地のGAME2、再び。
って、島根戦が二つ掛かってしまってる…。
正確には、昨シーズンの島根VS仙台と、琉球VS島根(11月2連戦)ということで。
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