【悩みのるつぼ】いじめたことを後悔している。の感想(投稿者に届いて欲しいなあ)

まず最初に言っておきます。
加害者側が安心するような言葉を書きますので
被害者側が許せないと思うようなら、先にリターンバックを推奨します。


大前提、私は被害者側です。
保育園(1歳か2歳)から、小学校、中学校、高校とまでいじめを受け続けまして、大学生になってもその感覚が抜けず、大学時代はいじめられていたのか被害妄想になっていたのか、ちょっと分かりませんが、学友がとても良い人でしたので、まあ最終結論的にはどうにかなりました。


話が長引きそうなので先に「後悔しているが、会うのが憚られる」は
加害者側だけで決めていいことではないと思っています。
何故かというと、被害者が「許さない、お前のせいで私の人生は滅茶苦茶になったんだ」というか「もういいよ。気にしないで。私は幸せになったから」というか、それはまた別の話だからです。


私の過去の話になります。
中学の頃にいじめてきた子がいまして、卒業をちょっと前に控えた頃に(中3だったのは覚えているけど季節までは覚えていない)、「あんたなんでそんなに平気そうなの?」と聞かれました。
善意ではありません。嫌味でもありません。勿論心配などでもありません。
単純な疑問として聞かれました。


それに、私は
「十五年もすれば分かるよ。」
とだけ返しました。


どうでしょうか。
投稿者様がまさに、その年代に当たらないでしょうか?
そう思って、筆を執ることにしたのです。


勿論、これに対して加害者は「どういうこと!?」と聞き返してきましたが
それ以上言う事もないのでそのまま去り、少し取り乱した様子の加害者がぽつんと残りました。


十五年経ちましたので(筆者は34歳です)書きます。
15歳+15年ということは、30歳ですよね。多分が。
要は、加害者は人生の転換期を迎えることになります。
家庭を持っている人は、持っていることでしょう。
私はその、家庭を持っている人の贖罪の記事を読んだことがあるだけでした。


「学生時代に虐めてしまった子が居る。でも連絡が取れない。
 謝りたくても謝れない。それが唯々苦しい」
そんな記事
だったかな。
同じ新聞社さんだったかもしれません、違ったかもしれません。
うち3社をローテしながら読む家なので。


15歳の私には、加害者の子が、今は罪悪感などなく優越感などに浸りたいだけだとしても、いつしかこうなるのだろうという予見がありました。
だから言いました。
「15年もすれば分かるよ」と。


考えてもみましょう。
自分が家庭を持っているとしますね。子どもがいるともしますね。
未だいじめは多く、問題の解決できない心の傷を生むものです。
それが、自分の子に、全く関係がないということは、ありえないのです。
聞いたことないですか?
「加害者」「被害者」「傍観者」。


時を同じくしまして、中2くらいだったかな。
こちらも新聞社さんなので、同じ新聞社さんの過去の記事を掘り返して見るのもいいかもしれませんが
「いじめられている友人を助けられない苦を理由に自殺(した傍観者)」という記事が載りました。衝撃的だったので覚えています。
かくいう私も、友人が傍観者でしたが、まだスマホも携帯も黎明期だったので学校外での行動が分かるようなものではない時代に
電話で、「虐められてるの分かってるのに、見てるしか出来なくてごめんね。自分が虐められる標的に切り替わるのが怖くて、怖くて、身が竦んでしまうの。でも、あなたはそれどころじゃないくらい苦しいはずだよね。なのに何も出来ない、身勝手な私を許して、ごめんなさい、ごめんなさい」と
泣きながら電話をしてきたことがあるのです。


いじめは、私的な所感では
加害者もいつかは苦しみ
被害者はその場で苦しみ
傍観者は助けられないことで苦しむ
結局、誰一人として傷付かないことの少ない問題だと思っています。


その中のどれかに、自分の子どもが入ってしまった時。
あなたは親として、どう接することになるでしょうか。
簡単ですよね、加害者として接することになるのです


「いじめはよくないよ(ざっくりとした内容)」と言うのを制限するのではありません。
けれど、自分が一番良く分かっていることがありますよね。
「どの口が言っているんだろうか」と。
自分の子には道を間違えて欲しくない、それは正しいことです。
親として、是非やってあげてください。
けれども、その裏で、あなたは苦しむことになるでしょう。
それが「15年もすれば分かるよ」の正体です。

自分の過去を振り返ったり。
子どもの横柄な態度、或いは傷付いている表情、助けてあげられなくて困っている様子。
それらを受けて、本当に悔いずにいられるのか。
そういう返答だったのです。
まあ私の知り合いには墓に入っても反省はしないだろう人も居ましたが、ああいうのはどうしようもない人類なので放っておくしかありません。


では、質問者さんの話に戻ります。
私は、「謝る」の中身に寄るのではないか、と感じました。
質問者さんが30歳を超えているなら、相手も30歳を超えているわけです。いい大人になっているわけです。

「何を今更」という人もいるでしょう。
気にしてもしょうがないと思った人もいれば、今更謝ったって遅いでしょという人もいるでしょう。
未だに傷付いている人もいるでしょう。
けれども、なればこそ腫物扱いをするのはどうかなあとも思うのです。
個人的所感です。



いじめって、心に傷を負いますよね。
それは、被害者がいくら大人になったといっても消え失せることはなく、幸せになったからといって帳消しになるものではありません。
そして、今、加害者であるあなたも、後悔という傷を抱えている。
これは、謝罪をすることでしか、終止符を打つことが出来ません。


加害者さんに必要なのは、「許してもらえず、怒りを叩きつけられる覚悟」なのだと、私は思います。


謝っても、「もう私の人生に関わらないで!!」と怒られることもあるでしょう。けれども、逆に「もう私はあの時の悲しさを、この人(旦那・妻)に埋めてもらえたよ。傷付いたし腹の虫は治まらないけど、もう、終わってもいい過去だと思うよ」と言われることもあるのかもしれません。


突然私の話にまた逆戻りするのですが。
高校の時も虐められたという話をしましたね。
社会科見学か何かの、遠出をする時に、班を作りますね。
私以外の全てが、私をいじめるグループという班に放り込まれました。
もちろん、外に出ても虐める気があるので、除け者にされていました。


それが嫌だったので、友達のいるグループと一緒に行動をしました。
要は、班行動の規則を破ったわけです。
そのため、集合時間に私が居ないことで教師から叱られたのでしょう
「あんたいつの間に居なくなったの!勝手な事しないでくれる!」とか言われましたので、さすがの私もブチ切れました。


「お前らが私を笑いものにしたからでしょ!!自分の胸に聞いてみろよ!!」


学年、計300人だったか500人が揃っている場で。
そう、言いました。
全員聞いていたと思います。
怒鳴ったので。


教師に取り計らって貰いまして、班行動を別にしたことは…どうなったんだっけ。忘れましたが。
「全員無事にいる、それでいいから」と言ってもらい、帰りも班行動を拒否しました。
いじめっ子グループは呆然自失で意気消沈しており、私は腹が立っていたのでそのまま置き去りにしました。


被害者の怒りは、全うなものです。
悲しみも、苦しみも、あなた達が与えたものです。
だからこそ、「怒られる覚悟」なのだと思います。
決して、「見守り、もう二度と会わないようにすること」ではありません。


何故か。
この話はまだ続きがありまして。
私に怒鳴られて、自分達が酷い事をしたのだと、その子達はようやく反省をしました。あれだけ笑っておいて今更かとは思いましたが。
どう見ても虐める気でやってたじゃん。
後ろめたくなるのが遅すぎるのでは??発言に責任がないのでは??
まあ色々と思うことはありました。自分もまだ、未熟な未成年でしたので。


結論から言って、私はその子達を許すことになりました。
帰りの乗り物の中で、別の号車に乗っているのにも関わらず、私の所まで足を運び、お詫びにしては見すぼらしい、飴ふたつ。
沿えた言葉が「傷付けてごめんね」。



許してくださいとは言いませんでした。何でかは知りません。
けれども、私がその子達を許したのは、本当に反省している、心の底から詫びているのが分かったからです。
確かにいじめは故意にされました。悪意があった。
けれど、その子たちは、学生という未熟な心でありながら、自らのしたことをきちんと反省したのです。
許してもらえるかどうか、みたいなハラハラした雰囲気は感じましたけれども、それは「許されたいから謝っている」のではないと分かりました。


ちょっとお話が逸れるのですが、とある漫画(ラノベ)に
「人は人を映す鏡です。自分が許されるためだけの謝罪をするのなら、私もこの時間を、自分がしたいことのためだけに使っていいものだと解釈します。貴方たちは私に対してしか謝っていない。貴方たちが傷付けたのは、誰なのですか?(意訳)」というシーンがあります。


「自分が許されるための薄っぺらい謝罪」なら、それは何よりも被害者が欲しくないものです。馬鹿にされているような気にもなります。
けれども、「自分の行いが本当に悪いことだったと気付いたから謝る」というのは、とても貴重な想いだと、私は考えます。
それが、被害者に届かなかったとしても。
あなたはあなたで、「謝ることはできた」という、少しだけ進んだ場所へ行けるかもしれません。


相手が嫌がらないか気になるのであれば、手紙から接触するとか
共通のご友人にちょっと頼んでみるとか
そこから始めてみては如何でしょうか。
あなたとの接触は拒まれていても、共通のご友人が「今、あの頃のことを謝られたら、どう返す?」と、あなたの存在をにおわせずに聞くことは出来ることと思います。


再度言いますが
責められても仕方のない事をしたという意識と。
自分の悔やんでいる気持ちに向き合うこと。
この二つに対する勇気を持つこと
だけが、この件においての感想になります。


あちらの感情を尊重するのも大事です。被害者ですからね。
でも、後悔して立ち止まって下を向いているしか出来ない加害者の感情もまた、尊重していかねばなりません。
あなたの人生です。
あなたが間違えたことです。
それをあなたはきちんと後悔しています。
被害者だけを慮って、あなた自身は前に進めないまま。
それは、本当にいいことでしょうか?


仮にお子さんがいたとして、お子さんもまた加害者になった時に
「お前がしたことは悪い事だから、ずっと背負って生きていくしかないんだよ」と、あなたは言いますか。
私なら、言えません。
「悪いことだけど、それをきちんと反省して、過去の過ちとして荷物を降ろして歩いていく機会が、いつか来ることを祈っているよ」となら
言うかもしれません。


私だけの体験談で申し訳ないと思いますが
先述の「ブチ切れた」相手とは、その後、普通に挨拶をするくらいの仲には回復しました。あちらは誠心誠意謝って、それを許してもらえたことが何よりも胸を撫で下ろせる機会になったようで、その後暗い表情で私に接したことはありません。ただのクラスメイトになりました。



これが、後悔を引きずらないということなのではないかと思うのです。


許してもらえても、貰えなくても。
自分が後悔しないために選択をする。
同じくらいの歳なら、お分かりになるかなと思いますが
大事なことは、いつも心で決める。
そういうことなのではないかと、私は思っています。



全てがそうなわけではありません。
結局は、私から見た所感でしかないのです。
けれども、どうか頭の片隅に置いていて欲しい。
「許されないことをした」ことと、「許してもらえない」は、決してイコールではないということを。



だから勇気が必要です。
あなたのこれからの人生を、大きく左右することになる、大きな勇気です。


「謝りたいのに謝れない」
そういう人は、結構いるものなんです。
負い目。引け目。相手をより傷付けることへの恐怖。
そういうものを、抱えながら生きていくことは、とても苦しい。
(まあ被害者によっては、その状態をざまあみろとかいう人も居ますが……その時はその時かな……)



そういう、負い目を背負ったまま、長い人生を生きていく人達を
謝られることもなく傷が癒えないまま生きていくしかない人達の未来を
変えていける可能性になってくれればなあと
そう願わずにはいられません。



私はそうだったかな。
学年中どころではなく、他学年すら私を指さして嘲笑うのです。
こっちからしたらお前なんて知らねーよって人ですら
「〇〇さんだ、きもちわるーい、クスクスクス」って言うんです。
どこから伝播してるんだ情報が。

謝ってきたのは、電話をしてきた「傍観者」の子ひとりと。
私がブチ切れた時の「加害者」の子ふたりだけ。
そのほかの三桁に上ろうかという有象無象からの謝罪はありません。
そういう人たちを、被害者の私達は


「罪の意識も持てない可哀想な人達」
そう思う事しか、出来ないのです。


言われたこと。
されたこと。
笑われた回数。
指をさして陰口を言われた経験。
何一つ、悔い改めますという謝罪も頂いておりません。
そんな人たちのことを
私達は、許せばいいのか、憎めばいいのか、分からないのです。


投稿者さんの悩みが
被害者の心を一歩進ませることになったり
或いは許されなくても、自分が進むことできる一歩に
なればいいなと考えます。


勇気を貯めることから、始めてみてくださいね。


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