『誰も待望しないアドベント』 2023年アドベント第4週
2023年12月24日 礼拝
それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
マタイによる福音書2:3
タイトル画像:Theo CrazzolaraによるPixabayからの画像
はじめに
今年のアドベントの最終日に、マタイの福音書2章に焦点を当て、ヘロデ王の時代にイエス・キリストが生まれた出来事を振り返ります。ヘロデ王は異邦人であり、ローマの支配下でユダヤの王になりましたが、それゆえにその地位は不安定でした。彼は、平和を築くために神殿を改築するなど、公共事業の充実を図り、経済の安定と景気の好循環をもたらす手段を使いました。
しかし、クリスマスのメッセージは彼にとって脅威であり、ヘロデとエルサレムの人々は喜ばずに恐れました。なぜなら、彼らは今の安定を求め、イエス・キリストの出現がそれを揺るがす可能性があると感じたからです。アドベントを通して、異教徒の博士たちが星を見上げ、イエス・キリストの誕生を知り、彼を礼拝したことが強調され、真のクリスマスの祝祭はイエス・キリストを心から迎え入れることにあると述べられています。これは、他人との比較や競争から解放され、平和と喜びがあることを中心に語ります。
ヘロデ王の時代にキリストが生まれる
マタイ2:1によれば、イエスは、ヘロデ王の時代にお生まれになったと記されています。いまから2020年ほど昔の時代です。ヘロデ王(紀元前73年頃 - 紀元前4年)は、ユダヤ人ではなく、イドマヤ人の出身でした。イドマヤ人はユダヤの南方のエドム人の子孫で、エドム人はエサウを祖とします。イドマヤ人は、ハスモン朝の支配下で強制的に割礼を施され、ユダヤ教に改宗させられた人々でした。
ヘロデの父、アンティパトロスがハスモン家の内紛に乗じて力をつけてユダヤ総督となり、実質的な権力者になったとき、その子ヘロデはガリラヤ地方の知事となり、前40年、ヘロデは親ローマ派として自らローマに赴き、アントニウスに取り入って、元老院からユダヤ王の地位を与えられます。
その後、前37年にハスモン家を滅ぼし、名実ともにユダヤの王となり、ハスモン家の娘と結婚しました。ローマでアントニウスに代わりオクタウィアヌスが権力を握ると、直ちにそれに取り入って、権力を保障されましたが、それでも心配の種は尽きず、ユダヤ人の歓心を買うために、エルサレム神殿を大改築し、壮大な神殿に造り替えました。
常に反乱の危険におびえながら、懐柔と圧政を使い分けて権力を維持し、「ヘロデ大王」と言われるようになりました。こうして、長年反乱と外国の侵入に悩まされていたイスラエルにつかの間の平和が訪れていた時代でした。
誰も喜ばなかったクリスマス
クリスマスといいますと、わたしたちからすれば嬉しい知らせであり、心躍るイベントでもあります。ところが、世界で初めてのクリスマスはどうであったかといいますと、ヘロデ王を初めエルサレムに住んでいるユダヤ人たちは、突然、エルサレムを訪れた当方の博士たちがもたらした知らせに驚愕します。イエス・キリストのお生まれの知らせに恐れ惑ったと3節にあります。
ヘロデ王の弾圧に恐れていたエルサレム中の人々からすれば、ヘロデ王以外の人物が王であるという知らせを知ったときには、口をつぐむ、あるいは聞かなかったことにしたでしょう。
なぜなら、当時のヘロデ王は圧倒的な独裁者でしたから、彼に反逆することはもちろん、王位を脅かす対象が現れるとすれば一族郎党皆殺しにするということを権力集中の手段として行っていました。ヘロデは前政権ハスモン朝の血を引くものをすべて抹殺し、彼は絶対的な王としての基盤を築いたのです。こうして一通りの粛清が済んだ後ヘロデの王国は一応安定期に入り、ヘロデは壮大な建設計画を実行し、名実ともにユダヤ人の王として君臨したその時に、東方の博士たちが訪ねてきたのでした。
そこで、ヘロデ王は、その自分以外に、自分の知らないところで、しかも自分よりも大きな権威と力を持った王が生まれたと聞いたのです。
彼は、自分の地位、自分の権威が危なくなると直感的に感じました。もともと、ヘロデ王はローマの権威の裏付けと度重なる粛清と恐怖政治があって王になった異邦人です。
ヘロデ王は、イスラエルの正統な王でないことを十分承知していました。ですから、彼は暴力と圧政と、その経済力によって自分の権威の裏付けを求めたのです。人並み外れた知力、政治力、実行力を駆使して、人よりも上位にたち、その身分を確立したきわめて有能な人物です。人間としては非情に映る彼の姿も、自分を守り、自分を支えるためには人々を恐怖に陥れ、その存在感をアピールしなければ、彼の命はなかったのです。
ここで、王の王、主の主であるイエス・キリストの出現を知るや、ユダヤ人の正統的な王であり、人々が求めるメシアであると認めていたからこそ、ヘロデの心は瞬時にして凍りついたでしょう。そのヘロデの心情を知った家来や庇護されていたユダヤ教指導者たちは、東方の博士たちの言葉をそのまま喜ぶわけにはいかなかったことでしょう。ヘロデの保身は、ユダヤ人の恐怖となり、ユダヤ人の恐怖は、東方の博士たちの『良き知らせ』を封殺にかかりました。もし、真の救い主が現れたということになると、イスラエルの政界は揺れ動き、ヘロデ王の国家が転覆する恐れもありました。
こうした背景は、当時のイスラエル人だけではありません。現代の人間社会にも見られることです。当時のヘロデ王のもとでの人々は、神の救いよりも、ヘロデの独裁はあるものの、表面的には平穏な生活と、安定した暮らしこそが彼らの求める救いであったのです。
こうしてみますと、ヘロデ王にしても、イスラエルの庶民にしても、いや現代であっても、質は違えど求めるものは同じです。つまり、この世での安寧であったわけです。
彼らにとっては、イエス・キリストは社会の安定を覆す存在であったので、早速ヘロデは、イエス・キリストの暗殺を企て実行に移しました。
4-5節を見ていきますと、ユダヤ教の学者たちを招集して、キリストの生誕地について問いただします。メシアが生まれる正確な日時を確かめるためです。学者たちは、正確にその位置と預言を知っていながら、ヘロデ王には伝えていなかったことが伺えます。伝えることが命に関わる、あるいは、社会的制裁を受けかねないということ、伝えなければ、自分たちの安定した生活が保証されるということを受け止めていたことです。
こうした姿勢は、現代の宣教においても普通にあることです。世から奇異に見られないために、福音の言葉を薄める、はぐらかす、雰囲気で伝道しようという姿勢です。私たちも気をつけなければならないことでしょう。特に伝道者には、当時の学者たちのように、保身のために伝道を避けるという姿勢はあってはならないことです。
アドベントを終えるにあたって
今年のアドベントのメッセージを振り返りますと、旧約の何れの時代にあっても、積極的にメシアの到来を待つということがなかったということが明らかにされます。困難にあえぐ、闇の時代にメシアを求め始めるということがあっても、当のイスラエル人の中でメシア出現を知るものは、聖書への造詣の深い学者たちですらわかりませんでした。
イエス・キリストがお生まれなったということを知ったのは、聖書の専門家ではなかった東方の国の博士たちでした。異教徒がメシヤの誕生を知ったのです。なぜ彼らは、イエス・キリストの誕生を知ったのでしょうか。それは、彼らが常に、星を見上げていたからです。上を見て自分たちの科学や技術の力の届かない、永遠の神様の真理と命へと思いをはせていたからでした。
それは、人間関係の横や下を見ない生き方です。人と比べてどちらが勝ったか、負けたか意識をしない生き方です。彼らの視線は、目に見えないお方を見上げていたのです。それが研究者の真実の態度です。ですから彼ら三人は、星に導かれて、真理であり、道であり、命であるお方のもとにたどり着くことができました。
自分たちが先を争って、自分のために栄誉を勝ち取るのではなく、真理を求め真理の前には謙虚にへりくだる心を持っていました。この星を見上げている限り、分野や性格や民族が違っていても、わたし達は一つになることができるのです。この一つの星から目を離すと、そのとたんにあのヘロデのように、人と自分を比較して他人を見てしまいます。
そしてコンプレックスを持ったり、反対に上位に立って自分を誇ったり、他人を支配したりするのです。絶対に、目を横に向けないと言うことです。いつも上を向いて歩きましょう。これがあの地上の王であるヘロデと全く違う点でした。ヘロデは自分を王としました。
博士たちはこの幼子を王として礼拝したのです。自分を王とするのではなく、この幼子イエス・キリストを王とすることです。わたし達の心の中に、この幼子イエス・キリストをお迎えして受け入れることです。そこには静かな平安、喜びがあります。他人との比較も競争もありません。自分を良く見せようとする必要もありません。ハレルヤ。
皆様のサポートに心から感謝します。信仰と福祉の架け橋として、障がい者支援や高齢者介護の現場で得た経験を活かし、希望の光を灯す活動を続けています。あなたの支えが、この使命をさらに広げる力となります。共に、より良い社会を築いていきましょう。