受難週メッセージ4 Good Friday
2024年3月17日 礼拝
タイトル画像:Chil VeraによるPixabayからの画像
はじめに
今回は、受難週の金曜日の記事を取り上げます。この金曜日を聖金曜日として特別に典礼を行う教会があります。ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカなどの多くの国々では聖金曜日が国家の祝祭日として休日になっている他、アメリカ合衆国では、連邦の祝日にはなっていないが州の祝日として多くの州で定められているため主な証券市場が休みとなるそうです。
私たちには、あまり馴染みのない聖金曜日ですが、『受難日』というと理解しやすいかと思います。死から復活へとキリストの過越しを祝う3日間のうち、受難と死を記念する受難日がどういう一日であったのかを振り返りたいと思います。
イエスの捕縛
接吻が裏切りのしるし
福音書の記述によりますと、祭司長、民の長老たちから差し向けられた剣や棒を手にした大ぜいの群衆たちはイエスの弟子イスカリオテのユダに導かれ、ゲツセマネの園でイエスを逮捕しました。
ユダはイエスを裏切ったとして銀貨30枚を受け取り、ユダは、自分が接吻した者がイエスであり、それが逮捕の合図であると、イエスを捕縛するために集められた群衆に告げます。ところでユダの裏切りは、ゼカリヤ書に記されています。
親愛の印であるべき接吻が、ユダの裏切りの合図となりました。人間は、自己の利益のために、魂を売り渡すという行為をとることがありますが、ユダの接吻はその象徴でした。
自分の身の安全のために逃げ去る弟子たち
当初は、主を守ると強弁を吐いていた弟子たちでしたが、自分の身に危険が迫るとイエスを守るどころか、自分の生命を守るために逃げ出していきます。弟子たちが離れ去っていくというのも辛いことであったろう思いますが、こうした弟子たちの裏切りも、すでに預言されていたことでした。
秘密裁判での聴取
アンナス邸での尋問
イエスは逮捕後、大祭司カヤパの妻の父であるアンナスの家に連行されました。そこで彼は尋問されましたが、本当は、夜中に裁判を行うことは非合法とされていましたが、過越の祭りの前というタイムリミットを前に、夜中に急遽議会が招集され、イエスの裁判が行われました。しかし、逮捕されるべき罪状は得られず、サンヘドリンが集まっていた大祭司カヤパの元に拘束されて送られました。
大祭司カヤパのもとでの取り調べ
イエスに対する証言が多数の人から寄せられましたが、どれも偽証でありましたから、信憑性が薄く矛盾した内容であったため、死刑に相当する罪状は認められなかったのです。そうした偽証に対して、イエスは何も答えなかったとあります。イエス・キリストに対する偽証や、その偽証に対して口を開かなったことにも旧約聖書の預言に記されています。
イエスが神の子であるのかという証言を求めるカヤパ
最後に大祭司は、マタイによる福音書26章63節のなかで、イエスに厳粛な誓いのもとで答えるよう勧告して、こう言います。
「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
続く64節でイエスは 「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」と答えます。
この証言を聞いた大祭司は激しく怒り、イエスを冒涜の罪で激しく非難します。サンヘドリン(ローマ帝国支配下のユダヤにおける最高裁判権を持った宗教的・政治的自治組織)たちは、大祭司の死刑決定を支持し、死刑判決に同意します。
ペテロの否認
イエスに対する尋問が進行している間、 中庭でその様子をうかがっていたペテロは、大祭司の女中や傍観者らに正体が発覚することを恐れて三度イエスを否認した後、後悔のあまり激しく泣いたとあります。
夜明けの最終弁論
朝になると、民の長老会、それに祭司長、律法学者たちが、議会に集まり、イエスがキリストであることの最終弁論を述べます。そこで、イエス・キリストは、自分が神の子であることを証言します。
なぜ、『神の子』とした証言が問題であったのかといえば、
イエス・キリストは、三位一体の神の第二人格であること、つまり神御自身であるからです(マタイ11:27)。
次に、メシヤの別名として彼の職務の上で、父から区別して子と呼ばれる(マタイ24:36)理由からです。
第三点目として聖霊の超自然的お働きによってこの世に生れ出た子という意味で神の子と呼ばれる(ルカ1:35)。
つまり、イエス・キリスト自身が、人ではなく『神』ご自身であるとすることから、従来ユダヤ教が信じてきた旧約聖書の概念が根底からくつがえされることに対して、冒涜であると非難し、そのイエス・キリストの発言が処刑の直接的な言質になりました。
ローマ総督ピラトによる裁判
ユダヤ人にとって、イエスが死罪にあたるとしたのは、自分を『神の子』つまり、神であると証言したからでした。ところが、当時のユダヤの宗主国であったのは、ローマ帝国であり、そのユダヤ属州総督ピラトがユダヤの法治の実権を握っていました。
ですから、ユダヤ人議会がイエスを死刑と決定しても、ピラトの承認なしには死刑にはできない状態でした。ユダヤ人にとってイエス・キリストが死罪にあたるのは、ユダヤ教の宗教的な理由でした。
ローマ法において裁くためには、ローマ法における死罪に相当する罪状がなければ、イエスに対する死刑は無理と考えて、ユダヤ議会の全員は、イエスが、国家転覆やカエサルへの課税反対を主張し、自らを王にしたという罪を捏造することでイエスをローマ総督ポンテオ・ピラトの元に連行し告発したのでした。
ユダヤ人の妬みによる告発
この告発を聞いたピラトはその内容が、ユダヤ人指導者たちの妬みと、ドメスティックな宗教的理由であることを知ったピラトは、自分がイエスの死刑に関わることを避けます。
こうしてユダヤ人の指導者たちに、彼ら自身の法に従ってイエスを裁き、判決を下す権限を与えます。
しかし、ユダヤ人の指導者たちは、ローマ人に死刑判決を下すことは許可されていないと答えるのです。
罪に手を染めずに目的を果たそうとするユダヤ人
ここで、ユダヤ人たちは、過越の祭りが近づいているということもあり、自分たちで無実の罪の人を殺して手を汚したくはないと考えます。
かつてイエスは、律法学者やパリサイ人に向かってこう言ったことを思い出します。
表面は立派であり、高い倫理観のもとに生きているように見え、民の指導者としてふさわしい様相を見せてはいても、その中身は、汚れと害毒とまやかしに満ち、自分の立場を死守するためには人を殺すこともいとわない人間の本質を激しく糾弾しました。
その言葉通りに、ユダヤ人の指導者たちは、自らの手でイエスを処刑することなく、ローマ人によってイエスが処刑されることでユダヤ人の体面を汚すことなく、その目的を達成することができると考えました。こうしたことを現在ではロンダリングと言いますが、罪を洗浄する役割をピラトに押し付けようとしたのです。
陰謀に加担したくないピラト
こうしたユダヤ人の陰謀に利用されると察知したピラトは、イエスを尋問し、判決の根拠はないとサンヘドリンに告げます。ところが、サンヘドリンの強硬な態度を見たピラトはたじろぐわけです。
なぜ、ここでピラトはたじろいだのでしょう。軍事力で制したピラトにしても、属国の治安維持には手を焼いたわけです。しかも、ユダヤはローマ帝国の中でも指折りの反乱が続発する地域でした。そうした地域を担当されていたピラトは、サンヘドリンを巧みに硬軟織り交ぜ懐柔しながら和平を保っている状態でした。少なくとも彼らを敵にした場合のリスクというものを強く感じていたのもピラトでした。そうした、際どい交渉の矢面に立たされていたのもピラトです。
サンヘドリンたちが、そうしたピラトの立ち位置を知らないはずはありません。相手が我々を利用するということは、つまり、弱みであると知っていました。その弱みを突いて、イエスを葬り去ればこちらの願い通りだと考えたに違いありません。
なんとか、自分がユダヤ人たちの陰謀に利用されないようにしようと別な手段をピラトが探ろうとしたとき、イエスがガリラヤ出身であることを知ったピラトは、過越の祭りのためにエルサレムにいたガリラヤの領主ヘロデ・アンテパスにこの件を相談します。
こうして、ボールはヘロデに投げられたわけですが、ヘロデがイエスに質問したところ、処刑に値するような明確な答えは得られませんでした。
こうして、ヘロデとピラトは仲良くなるとルカによる福音書にはありますが、いつもは仲の悪い同士でも、危急の場合や、共通の利害のためには助け合うということわざとして、「同舟相救う(どうしゅうあいすくう)」という言葉もありますが、人間は弱い立場に置かれると、敵であっても仲間になるという典型例がここにも見られました。
ユダヤ人への妥協案を探るピラト
こうして、罪は認められないとしてヘロデは、イエスをピラトのもとに送り返すことになります。ピラトはサンヘドリンに対し、自分もヘロデもイエスが有罪であるとは認めなられないと述べ、妥協策としてピラトはイエスを鞭打って釈放することを決意します。
強硬な立場を取るユダヤ人議会
サンヘドリンの強硬な姿勢は、そうした生ぬるい対応では我慢できないとして、祭司長たちの扇動により群衆をけしかけ、以前暴動事件があったときに殺人を犯して投獄されていたバラバの釈放を求めました。群衆の激しい要求が、暴動にエスカレートすることを恐れたピラトは、群衆に問いかけると、彼らは激しく「十字架につけろ」と要求したのです。
ピラトの妻からの使者
怒号が響くピラト邸の中での裁判の間、彼の妻からの使いの伝言を聞きます。
ピラトの妻はその日早くに夢の中でイエスの悪夢を見たこともあったからでしょう、あえて使いを遣わせたというのも、その夢の内容が尋常でなかったことより、動悸が抑えられなかったように思われます。
こうした妻からの夢見のことも聞いたピラトは、イエスの処刑に関わり合ってはならないと思ったに違いありません。
暴動にエスカレートすることを危惧するピラト
ピラトはイエスを鞭で打たせ、その後、釈放するために群衆の前に連れ出しました。
ここで、イエスを処刑することを拒絶するピラトの意思が強いのを見た祭司長らはピラトに新たな容疑を伝えます。
それが、イエスが「神の子であると主張したことによる」ということで死刑を宣告するよう要求したのです。
処刑を拒否するピラトに対するユダヤ人の要求
ピラトの決定に痺れを切らしたユダヤ人たちは、ローマ皇帝に対する反逆罪(ヨハネ19:12)によって処刑を告発することから、ユダヤ人のみが裁けるユダヤ教の神に対する冒涜罪であると主張の矛先を変えます。ユダヤ教の律法によればイエスは死罪であり、そのためにイエスは死ぬべきであると強固に主張したのです。
ピラトはユダヤ教の神のことであるということを聞いて、いっそう恐れたとあります。その思いを強くしたのは、他でもない彼の妻の夢(マタイ27:19)にありました。そうした背景は、下記の論文にヒントがあります。
当時のローマ帝国では、神々の迷信や死後の亡霊の祟りというものが色濃く支配していました。ピラトは祟りによって一家が死者の国に連れて行かれてしまうということを非常に恐れていたように考えられます。
当然のことながら、イエスの夢を見たピラトの妻の言葉は、神々のメッセージであると捉え、この問題は単に革命を引き起こすような政治的なレベルの問題ではなく、霊界の理由が問題であったということを知ったピラトはひどく恐怖に駆られたに違いありません。そこでイエスを宮殿内に連れ戻し、どこから来たのかを尋ねました。
ピラトの判決
このイエスの処刑は霊的な問題であると知ったピラトは、自分が政治決着をつける以上の判決を下すことが出来ないと判断し、最後にもう一度群衆の前に現れます。そこで、イエスが無実であると宣言し、自分がこの非難に関与していないことを示すために水で手を洗いました。
グレーな処分に対するユダヤ人の対応
ところが、暴動になりそうな勢いの群衆の圧を前にして、暴動が発生したときに本国からその混乱の責任を取らされる可能性があったピラトは、それを防ぐため、やむを得ずイエスを十字架につけるよう引き渡すことに同意します。
一方ユダヤ人たちは、イエス・キリストの死刑の責任を負うと証言し、自分たちで処分するとしまました。
イエス・キリストの処刑
こうしてイエスは、ユダヤ人たちに引き渡され、ユダヤ人自らがイエスを処刑することに同意し、当初は、自分たちが手を下すことを忌避していたユダヤ人たちでしたが、ピラトの強固な無罪への意思を前にして処刑を実行していきます。
ピラトは十字架にイエスをつけるための罪状書きを書き、十字架の上に掲げました。それには「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書かれました。
イエスは自分の十字架をクレネ人シモンの助けを借りて処刑地ゴルゴダ(ヘブル語で「どくろの地」)に運びました。ちなみにラテン語では「カルバリ」と呼ばれます。そこでイエスは二人の犯罪者とともに十字架につけられました。
こうして、イエスは十字架上で6時間の間、悶絶の苦しみを味わいました。彼の十字架上で息を引き取る最後の3時間、つまり正午から午後3時までイスラエル全土が暗闇に覆われたとあります。
マタイとマルコの福音書では、イエスは十字架の上からメシアの詩篇 22 篇を引用しながら、 「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれました。
こうしてイエスは霊をお渡しになります。すると地震が起こり、墓が開かれ、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返りました。
さらには神殿の幕が上から下まで引き裂かれました。歴史学者ヨセフスが言うには、この幕は十センチの厚さがあって、それぞれ反対方向に結ばれた馬が引っ張っても破れない強靭な幕でしたが、いともたやすく引き裂かれたということです。
こうした磔刑の現場で見張りをしていた百人隊長や部下の兵士たちはこの光景に恐れを抱き、 『この方はまことに神の子であった。』と語りました。百人隊長は異教徒でありましたが、彼が発したその言葉は、イエスの死の目撃は、受刑者ではなく、神の子と言わざるを得ないものであり、率直に思ったままを語ったことでしょう。
イエスの埋葬
アリマタヤのヨセフの遺体引き渡しの請願
サンヘドリンの会員の一人にアリマタヤのヨセフという人物がいました。彼は、イエス・キリストに対して反対の立場を取るユダヤ教指導層にありながらも、密かに主イエスを信じる者であり、イエスの有罪判決に同意していなかった人物でした。彼は、イエスの遺体の引き渡しの要求するためにピラトのところへ向かいます。すると、ピラトはもう死んだのかと驚きます。
通常、十字架刑は、短時間で殺す処刑ではなく、恥をかかせるであるとか、見せしめのために行われるものです。ですから、長い人で一週間も生きる場合もあり、6時間で死ぬというのは当時の常識からしても、信じられないくらい短い絶命であったようです。
そのような短時間で死んだのには理由があります。一つには、預言の成就がありました。メシアは、骨が折られることがないということです。
また、過越しの祭りが迫っていたので、祭りの前に脛を折って、受刑者を殺すことで祭りが汚れないようにするという理由もありました。ところが、神は御言葉の一点一画が崩れないようにするために、イエス・キリストの死期を早め、骨が折られないようにされ、さらには、イエスの右脇腹を突き刺されることによって御言葉の成就をされたのです。
また、イエス・キリストは、墓に納められることは重要でした。通常、十字架刑に架けられますと遺体は、燃えるゲヘナの中に捨てられ、ゴミとして処分されるはずでした。もし、ヨセフがピラトに下げ渡しの請求をしなかったとするなら、イエス・キリストは共同墓地に投げ捨てられて、神の民ユダヤ人としての栄誉を剥奪されることになりかねないものでしたでしょう。
さらに、総督ピラトがユダヤ教指導層からの圧力に負けて取り下げを許可せず、遺体が祭司長や律法学者の手に渡したとするならば、復活の舞台は揃わなかったばかりか、神の子としての名誉が損なわれてしまうことになりかねなかったのです。
ニコデモの埋葬準備
また、アリマタヤのヨセフと同じく、サンヘドリンのメンバーであるニコデモは、没薬とアロエを混ぜた香料を持ってきて、イエスの遺体に亜麻布を巻き埋葬を手伝いました。
このニコデモは、ヨハネによる福音書3章に現れるニコデモです。彼はユダヤ人のパリサイ派の一員であり、イエス・キリストとの対話が記されています。特に有名なのは、夜にイエスを訪ねて来たことで知られています。
この出来事は、イエスがヨハネ3:3で
「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」という教えを彼に伝えます。
ニコデモはこの教えを理解しようとしてイエスに尋ね、イエスは彼に対してヨハネ3:5で「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。」と答えました。
ニコデモはイエスの教えを理解しようと努め、後にイエスの埋葬に立ち会うことになります。
こうして彼らは、墓の入り口に大きな石を転がしました。それから彼らは日没から安息日が始まるので、墓を立ち去り、こうして長い金曜日が終わりました。
あとがき
聖金曜日に起きた出来事を列挙してきましたが、その中で述べられなかった重要な点があります。それは、イエス・キリストの受難が旧約聖書の預言に基づいて進行していたということです。
イエス・キリストの受難は、人間の悪意や裏切り、自己保身、恐れに満ちた行動、立場の維持、群衆や権力者を利用しようとする欲望、責任の放棄など、現代の人間にも見られるネガティブな心理を露わにしました。彼はこれらを告発することなく、無言の姿勢でそれらを暴き立てました。この一連の出来事を見ると、イエス・キリストはただただ驚異的な存在であるというだけでなく、神の子であることを言わずもがなのものとして思わされます。
そして、この出来事を通して、人間の邪悪さや策略、陰謀といったものを超え、神の計画が成就していくことが示されました。
その時、神の栄光の輝きが際立つのです。受難日という観点からだけではなく、英語でGood Friday(良い金曜日)と呼ばれる理由がここにあるのではないかと考えるのです。
イエス・キリストは確かに苦しみと悲しみを経験しましたが、その中で何を思っていたでしょうか。
彼は苦しみの中で、父なる神の救いの御言葉を実現するため、
わたしたちが罪赦され、神の子として永遠のいのちを受けるために、
犠牲となられた苦難を超える喜びを感じていたことは間違いありません。
ハレルヤ!