バプテスト信仰告白 1章 聖書について 9.聖書は聖書によって解釈する
THE BAPTIST CONFESSION OF FAITH
With Scripture Proofs Adopted by the Ministers and Messengers of the general assembly which met in London in 1689
9.聖書は聖書によって解釈する
翻 訳
9._____聖書の解釈における絶対確実なルールは、聖書そのものです。したがって、(聖書には多様性はなく、ただ一つしかない)聖書の真の意味と完全な意味について疑問が生じた場合、より明確に語っている他の箇所を調べて
より明確に語っている箇所で探さなければならない。
解 説
聖書解釈の一般的な原則についてですが、それは、「聖書は自己解釈する」という原則です。つまり、聖書の解釈における最も確実なガイドは、聖書そのものであるということです。
翻訳の中で、『聖書には多様性はなく、ただ一つしかない』という部分は、聖書の真理が一貫しているという考えを示しています。つまり、聖書全体は一つの統一されたメッセージを伝えており、そのメッセージは矛盾しないということです。
したがって、特定の聖書の節や章の真の意味や完全な意味について疑問が生じた場合、その解答は他の聖書の部分に見つけることができるということです。これは「聖書は自己解釈する」原則に基づいています。つまり、ある部分が不明確である場合、他の部分がその解釈を明確にすることができます。
この原則は、聖書研究における重要な鍵であり、聖書の真理を理解するための鍵となります。それは、聖書が神の啓示であり、そのメッセージが一貫しているという信念に基づいています。この原則を用いることで、聖書の深い理解と洞察を得ることができます。
ここで問題となるのは、「自己言及性のパラドックス」という問題が生じます。この問題は、哲学や論理学でよく議論されるテーマです。このパラドックスは、ある命題が自分自身を参照するとき、真実性の判断が難しくなるという問題を指します。聖書が不完全なものであると考えると、「聖書は自己解釈」するとすれば聖書は偽りとなるからです。
しかし、聖書の文脈では、このパラドックスは必ずしも適用されません。なぜなら、聖書が「自己解釈」するという主張は、聖書全体が一つの統一されたメッセージを伝えているという前提に基づいているからです。つまり、聖書の各部分は他の部分と一貫性を持ち、全体として一つの真理を形成します。
したがって、「聖書は自己解釈する」という主張が真実であるとすれば、それは聖書が誤りのない最高の権威であるという前提と矛盾しません。それどころか、この主張は聖書が神の啓示であり、その教えが一貫しているという信念を裏打ちします。
この観点から見れば、自己言及性のパラドックスは聖書の解釈においては問題とならず、聖書が誤りのない最高の権威であるという信念を支持します。それは、聖書が神の言葉であり、その教えが一貫しているという信念に基づいています。この信念は、キリスト教の信仰の中心的な部分であり、信者たちが聖書を理解し、その教えを日々の生活に適用するための基盤となっています。