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悪魔にどう立ち向かうのか Ⅰペテロ5章9節
2023年6月18日 礼拝
Ⅰペテロの手紙
5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
ᾧ ἀντίστητε στερεοὶ τῇ πίστει, εἰδότες τὰ αὐτὰ τῶν παθημάτων τῇ ἐν [τῷ] κόσμῳ ὑμῶν ἀδελφότητι ἐπιτελεῖσθαι.
タイトル画像:出典Die_Phalanx_im_Kampfe_mit_Persern,Wikimediacomons
はじめに
前回ご紹介した、Ⅰペテロ5章8節では「身を慎み、目をさましていなさい」という使徒ペテロの助言がありました。そこでは、彼はさらに教えを続けます。「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」と警告します。この1ペテロ5:9節では、私たちが直面する敵に対してどのように立ち向かうべきかが示されています。
この節は、私たちが身を慎み、目をさましていることの重要性を強調しています。悪魔は獅子のようにほえながら、私たちを食い尽くすために待ち伏せしています。しかし、私たちは神の力と保護を求めることで、彼らの攻撃から身を守ることができるとペテロは語りました。
今回紹介する1ペテロ5:9節の教えの背景となる、悪魔の攻撃と私たちの防御の重要性を強調しています。私たちは神の力に頼りながら、慎重に行動し、目を覚ましていく必要があります。この節は私たちに勇気と覚悟を与え、悪魔の攻撃に対して固く立ち向かうよう奨励していますが、どう立ち向かったらいいのでしょう。今回は、悪魔への立ち向かい方について取り上げていきます。
信仰に堅く立つこと
5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。
とあります。ギリシャ語では、ᾧ ἀντίστητε στερεοὶ τῇ πίστει(ホ アンティステーテ ステレオイ テー ピストイ)と書かれています。
さて、早速ギリシャ語を見ていきましょう。
冒頭にᾧ(ホ)とあります。この言葉は、英語の関係代名詞のWhomを意味する言葉です。格が男性型・単数になりますから、それに相当する前節で示す単語はδιάβολος(ディアボロス)『悪魔』になります。
その悪魔に対して、ἀντίστητε(アンティステーテ)と続きます。
立ち向かいなさい
『立ち向かいなさい』と新改訳にありますが、その元は、ἀντίστητε(アンティステーテ)。原型はアンティステーミ。
antí「反対」とhístēmi「立つ」が合成した言葉です。
正確には、「完全に反対の立場を取る」、すなわち「180度反対の立場」をとるというのが原義になります。
さらに、ἀντίστητε(アンティステーテ)の格は、命令法現在で記されていることから、現在形の持つ未完了の動作という状況、すなわち動作の継続という意味ですので、ἀντίστητε(アンティステーテ)は、「日々あなた方は完全に反対の立場を取れ!」という直訳になります。
ペテロがᾧ ἀντίστητε(ホ アンティステーテ)と語ることばをわかりやすく訳せば『日々あなた方は、悪魔に立ち向かえ!』という意味になります。しかしそれでは訳としては不十分です。
ここで、アンティステーテの原型アンティステーミの意味をまとめますと次のようになります。
公に、目立つように自分の立場を確立する
自分の立場を守る
動かされない
自分の信念を力強く宣言する
揺るぎなく立つ
自分の持ち場を守る
あきらめずに熱烈に耐える(手放す)
つまり、ᾧ ἀντίστητε(ホ アンティステーテ)と語った言葉の中には、以上のような戦いの意味が込められているということです。新改訳ですと単に『立ち向かいなさい』ですが、ギリシャ語で見ていきますと、7項目の具体的な指示があるということです。それも、『日々』行動し続けるよう命令されているということです。今もペテロの命令は変わりません。
つまり、悪魔に対しては、自分の信仰の立場を貫き、自分たちが持っている信仰を告白し、揺るぎなく立つということが求められていることです。
そこで述べられていることで重要なことは、私たちの信仰告白です。どのような信仰告白のもとで私たちは信仰を持ち、堅持しているのかということが問われます。
信仰のステレオ
次に、ペテロはホ アンティステーテの後に、στερεοὶ τῇ πίστει,(ステレオイ テー ピストイ)と続けます。
ここで、ステレオイという言葉について見ていきたいと思います。原型はステレオス。どこかで聞いたことがありますね。そうです。音響機器のステレオです。もともとは、正しくは、堅固な、動かせない、安定したといった意味の形容詞です。それが、立つという意味となり、立体を表し、そこから立体音響すなわちステレオというように変化して、日本に伝わっています。
さて、このステレオの本来の意味を詳しく見ますと、
「古い軍隊の比喩で、堅固な前線や緊密なファランクスを意味し、すなわち、......を指す。コンパクトさ、コンパクトな固さ」、「......物自体の質量や体における固さ、不動性、場所の保持」(WS、319)。
この軍事用語は、「『堅固な前面や緊密なファランクスを見よ』という意味である。 ギリシャのファランクスは、重武装の歩兵の体で、隊列やファイルを近く、深く形成したものである。 ポープには『グレシアのファランクスは、塔のように愛想がない』という一節がある。 この言葉は、その物自体の質量や体躯における堅固さを語っている」
ここでファランクスという言葉が出てきますが、古代において用いられた槍を持つ重装歩兵による密集陣形を言います。
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F. Mitchell, Department of History, United States Military Academy
つまり、このステレオという言葉は
安定した(solid)
実体を持つもの
固定されて動かせないもの
というように要約できます。
στερεοὶ τῇ πίστει,(ステレオイ テー ピストイ)という言葉を直訳しますと『信仰に動かず』というようになります。
このステレオという言葉を見ていきますと、信仰とはいかなるものであるのかが、理解できるのではないでしょうか。私たちを守る盾でもあり、敵を攻撃する槍でもあるというのがステレオのビジュアルです。
一致の必要性
こうした、信仰によって固く立つ姿勢とはどういうものかといえば、それは次のようになります。
責任から逃げるものであってはならないこと(Ⅰペテロ5:2)
横になって成り行きに任せたりしないこと(1ペテロ5:8)
つまり、「立って悪魔に立ち向かえ」ということです。
ᾧ ἀντίστητε στερεοὶ τῇ πίστει(ホ アンティステーテ ステレオイ テー ピストイ) という言葉は、一人一人がしっかりと立つだけでなく、全員で獅子と形容された悪魔に立ち向かうことを意味しています。
ギリシャ語を知っていた当時のクリスチャンたちは、ステレオという言葉が持つ意味を知っていました。それは敵に対して槍を持つ重装歩兵による密集陣形で戦う兵隊たちのことです。私たちは、一対一の戦いでは、サタンに圧倒されてしまうのですが、大勢のクリスチャンたちとともに戦うことで立ち向かえるとペテロは教えます。日本のクリスチャンに不足しているのは、信仰の一致と祈りの協力ではないでしょうか。日本においてキリスト教が増えない理由として、信仰自体が個人主義的なものとなっているという点にあるのではないでしょうか。戦っている人がいるのにもかかわらず、戦っている人に対して無関心。伝道している人がいるのにもかかわらず、目もくれない。これでは、空中の権を持つサタンに勝つことすらできないでしょう。しかし、だからといって、私たちは自分たちが持っている信仰告白を曲げてまで一致することは難しいと思います。同じ信仰告白に生きる者同士の一致と協力が求められているということです。
信仰者は絶えず神の恵みに依存し、神が定めた計画の中で試練に立ち向かうことが求められます。この節では、信仰において困難な状況にあることを知りながら、信仰者は同胞たちとともに連帯し、互いに助け合いながら試練を乗り越えるべきだとペテロは語ります。
兄弟愛による完成と勝利
ペテロは、最後に、なぜ信仰に固く立つのかについての理由を述べています。『ご承知のように』と訳された言葉は、εἰδότες(エイドテス)原型はエイドン「見る」であるとか「知る」と訳される言葉です。
このエイドンという単語は、霊的な視野を意味する言葉です。つまり、事実として、キリスト教徒が直面する苦難や迫害について知っているという以上に、この戦いは、世の中の事件にとどまらずに、信仰において試練や苦難が存在することの背後に霊的な戦いがあることを認識し、信仰者が神の力と導きによってそれらを克服することを強調している言葉であるということです。
ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
εἰδότες τὰ αὐτὰ τῶν παθημάτων τῇ ἐν [τῷ] κόσμῳ ὑμῶν ἀδελφότητι ἐπιτελεῖσθαι.
と9節の後半に記されていますが、
直訳しますと「世にいるあなたがたの兄弟たちにも同じ苦しみがあることを知りながら」という訳になります。
原文を読むとその書き方は奇妙に感じます。その部分を詳しく訳しますと、『苦しみの同一性は、この世にいる兄弟愛によって完成されることを見出す。』というように訳せる言葉です。
ペテロはなぜ、そのように書いたのかといえば、クリスチャン同士の苦難の同一性を示し、悪魔によって苦しんでいるクリスチャンたちに、その苦しみを乗り越えた兄弟愛による一致を思い浮かべて、苦難にある自分たちを慰めるように間接的に指し示しているということです。
こうしたビジョンは、信仰者の連帯と、同じ信仰を持つ人々との兄弟愛のもとにあります。サタンへの勝利は、兄弟愛の絆をより緊密にすることで完成を見出すというように訳せます。
悪魔に対して、私たちは霊的なこととして、勝てるはずもないと諦めてはいませんか。私たちは、どう立ち向かっていったら良いのかについてペテロは、今回の節から詳しく語っています。それは、キリストの福音の原理原則に固く立つこと。教理に立って揺るがさない姿勢が重要です。さらには愛による信徒間の連帯が強く求められているということをしっかりと胸に刻み込んでいこうではありませんか。
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