悲劇のクリスマス
ヘロデの嬰児虐殺の現場から
聖書箇所 マタイによる福音書2章13節-18節
2021年12月26日 礼拝
マタイによる福音書 2:18 「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」
ヘロデの権力への渇望と強欲
初めてのクリスマス、イエス・キリストはベツレヘムの家畜小屋の中で誕生しました。最初、この誕生の恵みにあずかったのは、羊飼いたち、東方の博士たちでした。東方の国の博士たちは、星に導かれて、異国から旅をして、生まれたばかりのイエス・キリストを礼拝したとマタイによる福音書の2章は伝えております。ところで、東方の博士たちは、救い主がお生まれになった知らせをすでに宮廷は知っているだろうと思い、ヘロデ大王に謁見したと福音書にはあります。
今回取り上げる箇所の陰の主人公ヘロデ王を紹介したいと思いますが、ヘロデ:ヘロデ大王(紀元前73年頃 - 紀元前4年)は、共和政ローマ末期からローマ帝国初期にユダヤ王国を統治した王(在位:紀元前37年 - 紀元前4年)になります。紀元前4年に没するということで、キリストが誕生を紀元前4年の説がありますが、それはここではおいておくことにします。
ヘロデは、没する9年間は家庭の中に不和が重なっていたとされます。ヘロデには、10人の妻と多数の子供がいたとされます。
2番目の妻、マリアムネという妻がいました。彼女はハスモン家(紀元前140年頃から紀元前37年までイスラエルの独立を維持したユダヤ人王朝)の出身で、ヘロデとの間に、二人の子アレクサンドロスとアリストブロス(4世)をもうけました。この二人の息子は、ヘロデの後継者候補としてローマに留学させました。
その理由は、ヘロデは、ユダヤ人ではなく、イドマヤ人出身であるからでした。イドマヤ人とはエドム人がその源流で、エドム人そのものはイスラエルの兄弟民族であり、イスラエルの祖であるヤコブの兄のエサウの子孫です。たびたびイスラエルに戦いを挑み、領土をユダ王国に取ったり取られたりを何度か繰り返していた民族です。そうした出自もあって、ヘロデは、王となっても、ユダヤ人たちからは、異邦人が王になったとなったこともあり、王としての正統性を欠く人物として見られていたようです。そうした、評判を帳消しにし、ヘロデ王朝を盤石なものとするためにも、ハスモン家との結婚が必要と考えていたようです。
マリアムネの二人の息子は、5年間の留学を終え、帰国した彼らに待ち受けていたのは、ヘロデの妹サロメや母マリアムネと仲が悪かった人々からの中傷でした。彼らは、正統なユダヤ王家の血筋でもあったので警戒されていたのです。中傷を受けた全王朝のハスモン家の人々は、すべて抹殺されます。それは、妻であったマリアムネも例外ではありませんでした。
ヘロデは、イドマヤ人という異邦人の血統でありながらもマリアムネとの政略結婚によって、ユダヤ王の権威の奪取に成功します。彼はユダヤ王家であるマリアムネとの結婚を利用しながら、ユダヤ国内に自らの正当性を確立したのです。その後、母マリアムネが処刑されたことで、アレクサンドロスとアリストブロスは父ヘロデを憎みます。しかし、ヘロデは二人を王の後継候補として縁談を進めました。特にアリストブロスには、ヘロデの妹サロメの娘ベレニケを妻とすることで、一族の結束と融和を図ろうとしました。しかしそれでも、ヘロデとマリアムネの息子達との間には深い亀裂が横たわっていたのです。一計を案じたヘロデは離縁した最初の妻ドリスとその息子アンティパトロス(3世)を呼び、アンティパトロスを二人の当て馬として、王位継承権争いに加えます。こうすることで、二人の息子はヘロデになびくだろうと期待したのですが、マリアムネの息子たちは不当に扱われていると反目し、ヘロデの工作も逆効果となり、より亀裂が深まります。 同時に当て馬にされたアンティパトロスは異母弟達を陥れる策略を練り、この策が功を奏して、ヘロデの信頼を勝ち取ります。そしてついにヘロデはマリアムネの息子達が自分を暗殺しようとたくらんでいると考えるようになり、一族内の対立が激化し、最終的に息子アレクサンドロスとアリストブロスと、その家来たちをサマリアで処刑しました(紀元前7年ごろ)。
さらに、信頼していたアンティパトロスもヘロデ暗殺の黒幕と判断して幽閉し、父の死を望むようだと知ると、なんとヘロデの死の5日前に処刑命令を出しました。もとより陰鬱で冷酷な性格だったこともあり、宮廷内に陰謀が横行したこともあって晩年は精神的不安定を増していたようです。次々と王妃や息子、親族を殺害し、自分に対して敵対的であったユダヤ教の指導層最高法院の指導的なレビ族の祭司たちを迷わず処刑しました。これ以降最高法院の影響力は弱体化し、宗教的な問題のみを裁くようになります。こうした心労や病気、さらに高齢(約70歳ほど)で晩年のヘロデは弱っていましたが、それでも死ぬ寸前まで、反旗を翻す者を始末する気力は、死を前にしても衰えることはないほど執念深いものであったと伝えられております。
恐怖政治の裏には
こうしたヘロデの晩年に届いた、東方の博士からのメシア誕生の知らせは、ヘロデはもとよりエルサレム中を震撼させると同時に、王宮の周囲の空気を凍りつかせたものと思われます。権力の維持に心血を注いだヘロデにとってイエス・キリストの誕生の知らせは晴天の霹靂であったに違いありません。
彼は、ヤコブの兄エサウの血を引く、エドム人の血筋です。つまり、ユダヤ人ではありません。正統なユダヤ人からメシアが誕生したとなると、ヘロデは、異邦人ではありますが、ユダヤ教の中のメシア預言を知らないはずはありませんから、もし、仮にメシアが生まれたとなると、ユダヤ国内で、メシアを王として担ぐユダヤ人たちの蜂起を直感したであろうと思います。自分の地位を脅かす者は彼にとって親族ですら敵である彼は、メシア誕生の報告に冷静な面持ちのまま、心にとてつもない驚愕を抱いたのではないかと重います。
東方の博士たちがメシアの誕生を知っていたにも関わらず、ユダヤ教の学者たちがメシア誕生を知らない筈がないと思いますが、おそらく、ヘロデの残忍さゆえに、知られないほうが身のためだと思っていた学者もいたかもしれません。あるいは、御用学者と化して正しい信仰の心が消えてしまっていたかもしれません。どちらかと言えば、後者のほうが正しいように思いますが、いずれにしましても、残忍なヘロデの性格ゆえ、旧約聖書にたびたび登場するメシア誕生の預言を語ることはタブーであったと思われます。メシアや後継候補が誰になるのかといった話題は、ヘロデの前では決して話すことはできない不文律というものがあったと思われます。
こうして見ていきますと、ユダヤ教の聖地エルサレムでは、メシア預言が語られているのにも関わらず、メシア預言は封殺され、たとえ、イエス・キリストが生まれたとしても、その誕生を心から素直に喜べる人は誰もいなかったということです。メシアの誕生を知ったことで殺されるかもしれないと恐怖に怯えた人々が存在したに違いありません。異邦人のヘロデは正統なユダヤ人の王でなかったので、権威を確立するために、すべてのユダヤ人王族を根絶やしにし、その血で王朝を贖わければ、王としての地位に留まることが不可能であったわけです。彼は権力から転落すれば、恨んでいる人々から命を狙われるということを否応なく知っていました。ユダヤ人を支配するためには、正統性がないので、武力をもって支配をしなければユダヤ人たちから反乱が起きることは目に見えていました。こう考えていきますと、ヘロデには、常に死の恐怖を帯びていたわけで、必然と、対立する者や、正統性のある人物を見つけては処刑を繰り返すという以外に生きる道はなかったといえましょう。
ヘロデが教えたこと
こうした中で、幼子イエスの暗殺を企てます。ところが、殺害の予告を夢で知らされたヨセフ夫妻は幼子のイエスを連れて、エジプトに逃れます。しかし、それを知らないヘロデの兵はベツレヘムの2歳以下の幼児たちを片っ端から虐殺するという事件へと発展します。虐殺と言っても、何百人もの子供が殺されたわけではないといいます。ベツレヘムの人口が当時1,000人程度とされていますので、おおよそ20~30人の幼児たちが殺されたのではないかとされますので、虐殺とは言えないというレベルという話もありますが、いずれにしましたも、乳飲み子たちがヘロデの刃にかかり凄惨な死を遂げたということからすれば、十分に虐殺といってもおかしくはありません。この事件は、マタイによる福音書2章17節に『 そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。』とあるように、旧約聖書で記されていた預言が成就した出来事でした。
神の預言の成就に関しましては、喜ばしいことばかりではありません。むしろ、人間にとって悲しみをもたらすこともあります。エレミヤ書の預言が、自分に降りかからないときには、読み過ごしてしまうところでありますが、預言が降り掛かってきた乳飲み子たちや親たちの気持ちを考えるといたたまれない気持ちになります。
聖書のことばは、単なる昔話や過去の逸話ではありません。いまだ成就していないことばも数多くあり、預言の多くは、終末の時代に成就するものが多くを占めています。ですから、聖書のことばの実現は、来ないとか、自分とは関係が無いと考えてはいけないものです。自分にも降りかかる禍もあるかもしれないという心構えというものが必要でしょう。
ところで、こうした悲劇から、私たちは何を学ぶのでしょうか。一つは、平安を力に求めてはならないということです。ヘロデ大王は、権力と財力がその平安をもたらすと考えました。二つ目として、権力と財力を持つことで猜疑心がより深まるということです。誰かが奪うのではないかという思いです。すなわち、人を信用できなくなるということです。三つ目は、力を追い求めることで救い主を受け入れる余地が失われるということです。ヘロデは、迅速な行動が力だとばかり、素早い行動が事態を改善できると信じていました。幼児虐殺においても、その前に東方の博士たちを捕らえて殺そうと考えていましたし、イエス・キリストの誕生を知ってからは、即座に殺そうと軍を手配する段取りの良さでは極まっていました。
信じるべきに値するのは、神以外にないのですが、彼はすぐに決断し実行に移すことが彼の成功の秘訣と信じていたようです。彼の生き方は、決して奇異なものではありません。現代社会において、主流の考え方です。バズるとか、トレンドを追うというような、生き馬の目を抜く時代において、しばしば見られるものです。
力と権威と財力に物を言わせて人を支配する、人を蹴落とし自分を高める。そのために最大限の注力を果たす。その源泉が、スピードと実行力です。独裁者とは、自分の生存のために犠牲と幾多もの血を流すことは常ですが、こと独裁者としてヘロデほど極めた存在はないでしょう。しかし、彼が得たものはなんであったのかといいますと、親族や家族、弱者の犠牲、それから、信頼や愛情とか優しさ──といった無窮の価値を、自分の生存と権力維持のために捨てたということです。
自分が生きる目的として、愛し慈しむべき人を犠牲にし、さらには救い主イエス・キリストすら犠牲にしようとした。これこそ、悲劇であり真の絶望というものではないでしょうか。実は、ヘロデは極悪人に見えて、私たちとは全く比較にならないと思われる方も多いかもしれませんが、実は、私たちこそ、イエス・キリストを犠牲にして救いを得た者たちです。罪の値としては、なんらヘロデと変わりません。目的は何であるのか、自分であるのか、自分に向かえば、その極致はヘロデの道に向かうのです。
クリスチャンというのは、ヘロデの道が間違いであり、自分が追い求める道が、神の求める道とは違うことを認め、それを罪であると認識した人たちです。自分の罪によってイエス・キリストは十字架にかけられたという贖罪の意識がある人です。つまり、自分は罪人であるということを受け入れ、神に赦しを請うたにすぎないということです。
ヘロデは悪い人間だと決めつけることは簡単です。ヘロデの治世という絶望のさなかにイエス・キリストがお生まれになったということに、実は神の深い意図があるのではないでしょうか。そのヘロデのような絶望的に見えるような独裁者に、最高のイエス・キリストを受け入れる舞台が用意されていたのです。神は、ヘロデの救いを望んでいたと私は考えます。
ヘロデこそが、ベツレヘムの飼い葉桶に眠る真のメシアのもとに礼拝するという──これほどもない素晴らしい機会が用意されていたのです。
あくまでも仮説ですが、ヘロデが、イエス・キリストを礼拝したとしたならば、ヘロデの王朝は盤石なものとしてその基盤を築くことができたかもしれません。
しかし、彼は彼が求めていた権力ゆえに、救い主を拒絶するという態度をとりました。彼の状況を見渡すと同情すべき点も多々あるのですが、ここで私たちは、ヘロデという人物を反面教師として神は敢えて立てたということに瞠目すべきことではないかと思います。
今の時代は、そう長くないうちに閉じられると聖書は語ります。神を信じられるこの時代が閉じられる前に、ぜひイエス・キリストをこれを読む、みなさまのこころに受け入れていただきたい。心より切に願うものです。