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くつろぎしのぎ の 肉とか精神とか!?

考えたことを残しておこう

基本的に色んなことが長続きしないタイプではあるが、ここnoteでの投稿も多分に漏れず久方となってしまったようです。

それでも、と言い続けて、今回は自分との対話とか、考えていることとか、賞賛と反省、肉と精神とか、頭の中にあるものを出したいと思って書き進めていきます。
よくわからないかもしれませんが、読んで頂けるよう配慮に努めたいと思います!それが、それこそが自分の頭の中の言語化に繋がると思っています。

まず掲げた絵画について

こちらは現アーティゾン美術館が持つザオウーキー氏の絵画で、タイトルは数字が振ってあるだけの絵です。
もう10年以上前になりますが、まだアーティゾン美術館がブリヂストン美術館だった時に、ただただ素敵なデートをしたくて美術館を下見した時に出会い、すっかり私自身が虜になってしまっている絵です。
今思えば、若き日にこの絵画の前で数時間立ちすくんで考えたこと、得たこと、出せたことの総体が、今の私の素敵な部分を構成していると捉えています。

「自分」というのを、みなさんはどのように捉えてますか?
実際の仕事や生活を数値化して、客観的に比較して捉えることもあると思いますし、自己と他者と銘打って、いくつかの哲学を無意識に使って「私は此処にいる」を言える人もいるかと思います。

こと私にとって、「自分」を捉えると言うのは非常に難題です。
色んなことを細分化しても、「自分」を捉えるパーツにさえなっていないと思う反面、捉えるまでもないガラクタのようにも思えてしまいます。

そんな私でも、この絵画に初めて出会って、吸い込まれるように対面して過ごした時間は、結果的に自分をここまで連れてきてくれた認識に繋がっていると思います。

絵画の前で私は何を想ったのか、それを言葉にするのもまた難しいんですが、きっと「未来の自分を、いまここじゃないところに正確に想起し、固めようとした」という感じで、この「未来の自分」ってのは、当然その時の「自分」を正しく捉えられていないと、正確には想起できないので、逆説的に「自分」のことが捉えられていたんだと思うのです。

まぁ、絵画の話はその辺にしておいて、じゃぁ近頃どうなんだというところを書いていこうと思います。

33歳、独身、彼女なし、貯金無し、仕事あり、友人あり、進行形で不健康

そもそもnoteを書き始めたきっかけは、以下の記事にある通り、2020年に誰からも年始を挨拶をもらえなかったという、私としてはショッキングな出来事からでした。

それことをむしろチャンスと捉えて、確実にある夢を追っていこうぜ、という形で始めたんですが、私は日常に負けて3つの夢の内、すでに達成していた一つを紹介した時点で停滞をしているというのが現在です。
情けないっ!

ちなみに一つの達成は以下。

で、そんな私も自己紹介記事を書いていたんですが、今見ると、なんか繕ってきれいごと書いているなぁと思うところもあるわけです。それなりには真実をつぶさに書いていますが、もっとネガティブに書いちゃって然るべきとも思ったり。

そして見出しに戻るわけですが、なんか、ちょっと終わってる感あるなと(笑
この終わってる感がなんなんだろう、ってのは、社会基盤がどうだの、日本と言う国に生まれ育ってこびり付いた思想とか、色々あると思うんで避けて通ります!

33歳、独身、彼女なし、貯金無し、仕事あり、友人あり、進行形で不健康

こうなるとですね、年金はまぁきっともらえないだろうと仮定して、このまま生きていくと、今よりも不健康な状態で活力もなく、それまでに得た知識と経験でしがみつける仕事にしがみつきながら、職場から離れて半分死んでる町のアパートで、親族に遠い目で見られながら、帰宅後には20代30代の時に好きだったアニメとかドラマとか繰り返し見て、お酒で何かをごまかして布団に入るような感じになりそうですよね~。
というか、もはや今もそんな感じに近いんで、ものすごく想像ができてしまうぜ、と。

いやいやそれでも!と挫かれないように、仕事は一応しているじゃないか、たまに誘い誘われる友人が多く居るじゃないかと思いながら、昨日発生していた仲間内の飲み会に、ぎっくり腰で行けなかったので、進行形で不健康は示していかないとな、と、記した次第です。なんぞ。

で、です。
上記のように、ちょっと悲観的に将来を書いたわけですが、どこかで「それでも良くね?」と思っている自分がいて、本当に?という問いには、目を背ける感じがありまして、こりゃあきっと何かが諦念をまとっているぞと、ここでもまたそれでも、と考え直すわけです。

そして今回の表題にも書いた「肉とか精神とか」に繋がっていきます。

この「肉と精神」の使い道

みなさんは、「ご自分の肉(身体ですよね)と精神」の使い道はどこにあると思いますか?
最近友人たちの多くは、結婚して子供が生まれて、今まであるかないか良く分からなかった使い道に1つの解を出した様子でした。家族を守る、という使い道です。
このことを、「うわ、なんかめっちゃええやん!」と思う私がいます。
人ってそうあるべきやん、って純粋に真っ直ぐ掛け値なしでそう思えますよね。なんだかんだ言って、人間って動物で、なんで生きてんの?なんて聞かれたら、子孫繁栄が遺伝子に組み込まれてんだろ、って答えられますし、第一子供めっちゃかわいいし、その子供も、数多の可能性がありますが、ふと見上げた夕焼けに一息つくような素敵な時ないつか訪れるわけじゃないですか(寂しい例外はありますが)。
うん、それで十分すぎるほどに、その人の肉と精神の使い道をすべくして解決したと思えるわけです。

で、私は、と。

書いた通り、彼女もいなければ、すぐに結婚して家庭を支えられるだけの力があるかと言えば、微妙なラインです。ある程度の生活基盤の頭金とか、そういうのがないと立ち行かないでしょうね。
まぁそんなこと考える前に、お相手がいません。超いません。
かれこれ5年以上彼女さんが居ない状態で、身体は潤いを失くしていき、今では彼女ができたところで、その人を私が居ない時よりも幸せに導けるかという問いにビビり散らかしています。ええ。赤裸々に心に内を書いたけど、情けなさすぎるだろ苦

で、一応まだ生きれている私は、この肉と精神をどう使おうかを迷っています。
このままそれとなく生きていくことは、たぶんできると思うんです。むしろ言い方が下手過ぎて申し訳なく思いますが、この世から消える術を持っていないので、流れに身を任せて恥をかきながら生きていくことの想像は難しくないって感じです。

でも、ふと思うんです。
もったいなくね?と。

「肉と精神」、腐らせるのもったいなくね

これはもうなんか、書いちゃうと始まってしまって、始まったものとの差異に苦しむことになる日々が待っているから、日本語にしたくない残念過ぎる私がいることは認めた上で書きますと、もったいないっすよね。

うん、もったいない。

私は、まだ、私の感動の上限を超えた観たことない景色があるかもしれない。
私は、まだ、出会ったことのないストーリーに身を震わせることができるかもしれない。
私は、まだ、誰かを思いっきり笑わせることができるかもしれない。
私は、まだ、誰かに「あなたこそ居てよ」と言ってもらえるかもしれない。
私は、まだ、誰かの人生の一助になれるかもしれない。

それなのに、腐らせる一方の生き方って、まぁ、ダメなんすよね。
ダメなんす。うん。

その日の自分が気持ちよく帰れればいいからと、人に奢り過ぎてはダメなんす(先日も配属された新卒を前に見栄張って一軒の飲み代で7万円無くなった・・)。余計なこと考えなくていいからと、パチンコとかガールズバーとかばっか行っちゃダメなんす(たった一日他のこと考えなくていいからと当たり前に10万失くしてる)。
自分はもう終わっているから、と、今の自分のダサさとか侘しさとか切なさを、文学的に正当化してはダメなんす。

ダメっすね~。

現実のためにはなっていない、積み上げられた本たちが、私に訴えてきます。俺を読んどいて、それはねえだろう、と。
ごめんね、と私は思うばかりなんですね。

もったいないなら、どうすんの?

どうすんのって、ねえ。
どうしたらいいか、わからんすよ。笑

ダメだと思うことリスト化して、まず止めることなんでしょうね。
そして、こうしたい、こうすべきってものもリスト化して、毎朝眺めて一歩ずつでも進めることしかないんでしょうね。

ほら、もう逃げ始めている(笑

ここで、やる人と、やらない人の決定的な差ができる。
もはや、やることが分かっている人と、やることは分かっていない人でも、後者が行動に移せる人間であれば、それもう決定的な差になるんですね。三島由紀夫もそう言ってるじゃないか。

でもここに書いて、またできなかったら?
そしたらまぁ、これを未来のどこかの遺書にして、やっぱもったいなく腐らせた人生でした、ってなるんだろうなぁ。

それでええんか?って問いには「未回答」

「未回答」ですね。
これがどれだけ情けないことかって。
でも、「未回答」。事実私はディスプレイの前で、泣きながらの未回答です。

いつかここにも、こんなことあったよ、って素敵な言いたいっすよねえ。

同じような状態の人たちとの傷の舐めあいもいいですけど、そういう友達はいないんですよね。みんな幸せに向かって、自らの肉と精神の使い道を見つけて、それ自体を育てていく旅に、ちゃんと出ている。

そして、今回の記事のオチにもあたる、そんな友人たちから、私への依頼というか、ヘルプというか、お願いがあったのです。

友人からのヘルプの形 「お願い」

そんな友人から、動けない私にほぼ強制のお願いがありました。

「8月11日の海の日までにデートをしろ」

うへえ、マジかよ、そんな人いないよ。
って感じなのですが、アプリでも有償の婚活でもなんでもいいから、まずデートしろ、ということらしいのです。

どんなでもいいから、ということなので、そろそろ誘わないと間に合わなくなります。
なので、明日か、明後日には、人をリストアップした上で、連絡入れないと。。
うへえ。こんなにハードル高かったっけ?
と思いながら、友人からのお願いだけでも、聞いて実行するやつではいたいので、頑張りたいと思います。

そして次の記事は、「5年ぶりのデート」についてダサさマックスで書きたいと思いますので、こんな奴ですが、元々の夢も夢としては良き輝いているので、覚えていてくれたらと思います。

よろしくお願いします。
ここまで読んで頂いた方、あれこれと行き来する文面で恐縮ですが、本当にありがとうざいました。

あなたの明日に溢れんばかりの幸福を。



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