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ふと気付くと、日々が

やぁ。くつろぎしのぎです。

「私には、何もない」
この考えに駆られた2021年の冒頭。
そして始めたnoteも、結局日々の濁流に飲み込まれていて。


今日は雑記として、「日々」と付き合う私が考えていることを書き散らそうと思います。何かみなさんのためになるとは思いませんが、「いるいる、そしてちょっと分かるけどさ」という具合にお読み頂けると幸いです。

私と仕事と日々 1

私はサラリーマンで、特に今年の3月に入ってからは目まぐるしく仕事が降ってきていた。世間のみなさんと比較なんぞできようもないが、私は私なりに「社会に存在する自分」を失わないために頑張っているつもりだ。

いわゆる大企業ではないが、数千単位の社員がいる会社で、周りよりも少し早く昇進をし、部下を持って早くも3年が経とうとしている。

製品を持つ企業として、それを売り、使ってもらう。

この「使ってもらう」部分が私のフィールドだ
製品がシステムと言うこともあり、ITコンサルタントという肩書になる。

お客様がいる、お客様の家庭がある。
部下がおり、同僚がおり、上司がおり、そのそれぞれに家族や友人がいる。


「仕事=人生」である、絶対。とは思わないが、多くの人にとっては「仕事≒人生」もしくは「仕事=人生の一部」であることは否定し切れないだろう(これ自体の善悪・正否・貴賤は関係なく)。

私は、私よりもそんな周りの人たちのことを想って、1日にひとつだけでもいいからと、誰かの助けに成れるように仕事をした

もちろん全てが要領よくできたわけではないし、そもそも仕事できる人に比べたら私なんて、と思うが、結婚式を全開フルパワーで迎えることができた部下はありがとうと言ってくれた。多くの調整を図って時間をかけたお客様からは間接的に信頼されていることを知った。同僚からは心配の声も多かったが、すげーよ、そう言ってもらえた。自分より忙しい上司には、手の届いていないだろう範囲のカバーし、一緒に仕事ができて嬉しいと言ってもらえた。

そう、これは「頑張っている社会人のまぁ素敵な話」なはずだった

私と仕事と日々 2

自分がいる部署の様子が段々と元気を失くしていった。
かなり全体として忙しかったのだ、もちろん自分も含めて。

とはいえ、はいじゃぁやめ、という訳にもいかず、部下の負荷を下げるために動いた。コミュニケーションも欠かさなかった。

夏の終わりに、会社全体からバスターコールがかかり、他部署から優秀な人材が助けにやってきた。そこから数ヶ月で、見事なことに人員が補強され、仕事の負荷が高かった人からは仕事は剥がされていった

とても力強く、結束力とはすごいな、そう思わせてくれた。
一人でやることには限界があるのだ。

ある日、私にも声がかかり、業務の棚卸が行われた。
そこで、思いもよらない反応が見られた。


「なんだこの量。どうなっているんだ。」

思えば、コロナで在宅業務ができることも合って、私の生活は睡眠以外はほぼ全て仕事。家にいるのにご飯の時間がなく、たまたま早く終わったMTGを見つけては、コンビニへと走っておにぎりをかきこむような生活だった。

休日もどちらかはその週の整理と週明けからの準備で、人よりスピードがたけているとは言えない私にとっては必要な「仕事」だった。

「まさに殿(しんがり)だったわけだ。」

聞いたことはあるし、なんか最後の人でしょ?という理解だったが、調べてみるとすぐにこう出てくる。「退却を余儀なくされた殿様を逃がすためにわずかな数で殿(しんがり)にがんばって、追いすがる騎馬隊や鉄砲隊の盾になる役目です。」と。

なるほど私は殿だったのかと。

ほどなくして、自分にとって負荷の高い仕事のいくつかも終わって、さぁこれから気持ち切り替えてこう!と思った、10月23日のことだった。

私の身体に異変が起きた

私と仕事と日々 3(こっから口語!

身体の異変は以下である。(ちなみに元気ではあるのです!笑)

・全身蕁麻疹(かゆい!寝れないよ!
・果てしないだるさ
・風邪とは違う、謎の発熱

何事!?と思いながらも、自分が「殿」だったと思うと、随分と長い間、いわゆるトランス状態、スター状態、バーサーカーみたいになっていて、救援が来て、今の自分の状況を客観的に見て言われたことで、状態異常が解かれたのだなと。
結果わーっと体に異常が出たんですね。なるほど身体良くできてんな、と。笑

ここで私が言いたいのはですね、仕事批判とかじゃないのです。

今一度2021年の頭に戻ったらどうする、と聞かれれば、全く同じことすると思います。むしろ良い流れで出来ずに余計な負担になった仕事を片付けて、もう一段何かをやっていたと思います。
そこには、上記の通り、色んな人たちがいて、その人たちの仕事や生活も関わってくるわけですから、手を抜くわけにはいきません。

でも良くなかったのは、仕事を良くする代わりに、自分を蔑ろにしたことです

なんかもう文体とか気にせず書くと、食べてないのに太ってしまったし、思い出なんかないし、部屋に密かに積もる孤独に負けそうになるし、結果身体は壊すし、知的好奇心の大半が削れてしまっているように思うし、お酒はやめられないし、出会いなんぞもっての外で、例えデートに誘われても、こんな自分じゃ絶対に行けないでしょうね。きっと面白いことなんて言えないし、不快にさせてしまうと思う、とこんな感じでプライベートを殺しているし。。

なんだよなんだよ、と。

仕事と自分、此処で言う自分とは、つまりは日々でもあるんですが、ちゃんと両立できていないじゃないかよと。自律できていないじゃないかよと。

きっとこんな日々を続けていたら、私のnoteの軸でもある【夢を叶える】なんてとてもじゃないけどできない。私はあと、【1枚の絵】と【1曲の音楽】を作らなければならないのに。

色んな感情が無くなっている気がするんですが、やはり、油絵書くぞーとか1曲作ってみるぞーとか少しでも考えると、心に火が灯るんですよね。忘れてないぞーって、良かったーと思えるのです。

このあとどうするの?どうせさ・・・

そうなんです。
自分≒日々を大切にするには、何かを「変える」ことが必要になりますよね。ある日決意したから、その瞬間からその先1年を変えられるんだったら、そんなに素敵なことはないのですが、いやはや、私はとても弱く、決意したくらいじゃ、日々なんて変えられないわけです。心に灯りを残し続けられないわけですよ。
※それは決意と呼ばないよね、そう思います

じゃぁなんだ?って。
今まで私は何で日々を変えることができたんでしょうか。
思い返してみました、それぞれについてはどこかで。

・高校生の時に、「アキバ系」がかっこいいことしていて先入観を疑うことを覚えたとき
・憧れていた同級生から「あなたは、〇〇大学が似合うね」と言われて、電撃が走ったとき(結果、その大学に偏差値30上げて行きましたのだ!)
・初恋
・大学の教授が言った「君は何も好きじゃないんだよ」という言葉
etc...

まぁ、辿ってみたけど、結局恋愛絡みでパワーを発揮することくらいと、「何かきっかけ」があることは共通点として見つかりました

ええ、じゃぁ作るしかないじゃん。
でも、狙って「作りに行く」のは違うんだよなーーー。
と、街を徘徊していると、なんかビビッと来てしまったのです

こちら。

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少しぼやけてしまっておりますが、ライト、照明、卓上証明?なんと呼んでいいやらですが、素敵な「灯り」を見つけたのです。即買いしてしまいました。

私はこの灯りを使って、日々をコントロールしていこうと思います
余計なことを決めると、それを守れた守れなかったとまた袋小路に行くので、単純明快、

・この灯りを付けているときは、自分のために時間を使う
・もし日々の中で明らかに自分のためではないアクションを取ろうとしたときには、この灯りがあることを想う


これだけを実践しようと思います。
この灯りは、私を私足らしめるための、灯りだと。

そして?

この灯りを灯したのが2022年10月26日。
年内にひとつは必ず記事を上げようと思いますので、灯りの効果をみなさんにお知らせできたらなと思います。これも一つの灯りですね。

中々私が足らずに活動起こせていない中恐縮ですが、温かい目で見て、読んで頂けたのであれば、これ幸いです。

お楽しみにー!
よろしくお願い致します。

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