ヒグマよりも危険な自民党員が我々を襲う!北海道警察「ヤジ排除」訴訟逆転敗訴について
こんばんは、烏丸百九です。あっという間に月末となってしまいました。
今回は、先日6月22日に札幌高等裁判所にて控訴審判決となった、北海道警察の「ヤジ排除」訴訟について、実際に裁判を傍聴し、その後の記者会見にも参加させていただいた経験から、そのトンデモ判決ぶりを私なりに解説したいと思います。
「ヤジ排除」事件の詳細な内容については、以前のnoteもご参照ください。
「表現の自由」は争われてない
まず一番誤解の多いポイントなのですが、今回の控訴審で「ヤジ表現の自由」は争われていません。より正確に言うと、札幌地方裁判所における第一審の段階では「ヤジは表現の自由の範疇と言えるか?」も含めて裁判上の議論があったものの、一審の時点で「ヤジ自体は当然に表現の自由と解される」と結論が出され、その判断は今回も変わっていないのです。
この「誤解」が広まっている背景には、上述したようなマスコミ報道がまるで「ヤジ表現の自由が認められなかった」かのような不十分な解説のものが多いことに加えて、判決の結果が気に入らないウヨ勢力からの執拗な中傷が原因として挙げられると思います。
実際の判決内容をよく見ればわかりますが、「演説車両に詰め寄り……」の部分については一審の時点で警察の行動は適法と認められており、原告側もその点について争っていません。問題になったのはあくまでも「ヤジそのものが表現の自由の範疇か?」であって、桃井さんの判決が変更されなかったことからもわかるように、高裁判決においても「ヤジ=表現の自由」という見解は踏襲されています。「演説を聴く権利」を争っている人間はいません。
こういう悪質なデマを言い続ける狙いとしては、「ヤジ=表現の自由」という事実を丸ごと否定することで、裁判の世間的評価や裁判官の意見をより自身に有利なものへと解釈変更させることがあるんでしょうが、少し考えれば解るように、「(権力者の)演説を聴く権利」は全体主義国家でも保障されており、「表現の自由」とは何の関係もありません。むしろ「表現の自由」よりも権力者の「(何事も無く)演説をする権利」を上位だと無意識に考えていること自体、心根がファシストの証拠だと気付いてほしいものです。
1943年の日本でも「演説をする権利」は立派に保障されていますね。
ヒグマよりも危険な自民党員が我々を襲う!
本題に入りますが、ではなぜ「ヤジ=表現の自由」という結論が動かなかったにもかかわらず、今回原告の大杉さんは「敗訴」してしまったのでしょうか?
ここが本判決の一番奇怪な点かつ、「トンデモ判決」たる所以とも言えます。
ヤジポイHPに掲載されている高裁判決(PDF)によりますと、ポイントはこの一文です。
「警察官らは、周囲の聴衆と被控訴人(大杉さん)との間でもめ事に発展し、被控訴人が聴衆から暴行等を受ける危険性や、被控訴人がこれに反撃して暴行に及ぶなどの危険性が切迫していると判断した。
そのとき、被控訴人の左隣にいた(匿名の人物)が、再度被控訴人の方を向いて、その右平手で被控訴人の左上腕を強く押した。
角田警察官は、(略)押された状況を現認したことから、被控訴人と左側の聴衆の間に割って入り、(略)被控訴人の肩や腕をつかむなどし、更に他の警察官ら四、五名がこれを取り囲むなどして、被控訴人を(略)移動させた」
意味わかります?
要するに、
大杉さんは、匿名の人物から暴行を受け、危険な状況にあった
大杉さんの命を守るために、警察が実力を行使し、争いを「仲裁」したことは、警職法第4条「警察官は、危害を受けるおそれのある者に対し、その場の危害を避けしめるために必要な限度でこれを引き留め、若しくは避難させる」に基づいたやむを得ない行動である。
よって「ヤジ排除は正当」という道警側の主張に問題はなく、「違法に排除された」という原告(大杉さん)の主張は認められない。
だが一方で、もう一人の原告(桃井さん)は危険な行動をしていないので、道警が全面的に悪い(←「半分勝訴」の理由)
……というロジックです。
これがいかにトンデモ理論であるかは、大杉さんの以下のコメントに集約されていると思います。
要するに道警は、「大杉さんはヒグマ並みに凶暴な男に襲われていたため、我々が強硬な手段に出るのもやむを得ない状況であった」旨の報告書を裁判所に提出し、あろうことか札幌高裁(と大竹優子裁判長)はそれを真に受けてしまったということになります。
当然ですが、この判断には何重にも問題があります。
まず第一に、一審の時点では警察の主張は「証拠不十分」として退けられているということです。
札幌地裁は、本当に(大杉さんを実力排除する判断をしたとされる)角田警官が「ヒグマ野郎に襲われた大杉さんが危ない!」と思っていたのであれば、大杉さんに対してその場での治療どころか「お怪我は無いですか? 大丈夫ですか?」などの声かけすらしてないのは不自然であることや、上述したように動画を見る感じではそもそも小突かれただけで暴行されているようには見えない(実際負傷もしてない)などの点を冷静に検証し、道警の主張は総合的に見て”言い訳がましく信用性に欠ける”という(政治的主張に関係なく至極常識的な)判決を下したわけです。
翻って、高裁判決は、札幌地裁のこうした判断を(謎の独自基準で)悉く否定したということになります。
第二に、もしこんな主張が罷り通るなら、大杉さんを「暴行」した「ヒグマ並みに凶暴な男」は、ヤジを飛ばす行為自体が気に入らないネトウヨの皆さんよろしく、大杉さんのような”左翼活動家”を見かけたらとりあえず(捕まらない程度に)ブン殴れば良いことになります。
そうすれば、警察は勝手に「左翼活動家の命が危ない!」と判断して「活動家」を強制的にその場からせっせと排除してくれるわけです。
法律の知識が無い素人でも、こんな主張が認められたにもかかわらず、「ヒグマ並みの男」が暴行罪で逮捕されていないことはどう考えても警察側の職務怠慢であり、おかしいと思うのではないでしょうか?
ちなみにこの「ヒグマ男」、原告側の調べで安倍の応援に来た自民党員であることがバレているのですが、狡猾な道警は、なんと暴行に関する時効が成立するのを待ってから動画証拠を裁判所に提出してきたのです。戦前日本でもこんなインチキはそうそうないでしょう。
暴力の横行を招きかねない不当判決
以前のnoteでも書きましたが、門田のようなネトウヨの言う「ヤジや抗議を排除しなかったから(政治家への)暴力事件が起きた」は論理が逆で、実際は「ヤジや抗議を排除するような社会だから暴力事件が起きている」のです。民主主義的プロセスを踏みにじって、警察が市民を守らず横暴に振る舞う社会とは、わざわざ戦前日本を想像するまでもなく、抑圧的な全体主義社会だとわかるでしょう。
今回の判決が自民党に配慮した政治的なものである証拠はありません。
しかし、本件で最も悪質な点は、「警察は市民を守らねばならない」というロジックを使って、事実上の市民弾圧を行っている点であり、いかに「表現の自由」そのものは異論無く認められているにしても、こうも警察官のやりたい放題を追認するような見解を司法が取るなら、(現在でさえ死に体の)本邦の政治批判や権力者批判が萎縮していく恐れは否定しがたいと思います。
あと(一応)LGBTQ差別に反対する人間として言っておけば、大杉さんに関しては(被害と加害両面で)「危険性」を言いまくるくせに、女性の桃井さんに関しては議論無く「警察のつきまとい行為はおかしい」と結論づけられたのは、典型的なジェンダー偏見に基づく判断ではないかと感じますし、「勝訴」だから良いのだという話ではないように思います。
そして本裁判の大竹優子裁判長が「同性婚訴訟」の札幌高裁担当裁判官だという事実……。(噂ではそろそろ転勤が近いそうですが)
こうした司法の不当な判断を放置すれば、ますます社会に暴力的な行為が蔓延し、「表現の自由」は警察はじめとする国家権力によって抑制されていくことでしょう。その先の未来に何があるのか、もう一度よく考え直すべきではないかと思います。
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