見出し画像

N.M happened on Dec.13, 1937 (閲覧注意)

ニュースと歴史、加害と被害の考え方について、一考察します。
最後まで読んでいただければ、私、「交差点東京」が普段何を考えて生きているかわかるかもしれません。

みなさん、12月と聞けば、ウキウキワクワク感がどうしても隠しきれないそんな街の様相を見て、

「あぁ、年末のだなぁ、今年もあと僅かだなぁ、年初の目標達成したっけ?途中で辞めちゃったか、でもできたこともあるぞ」

など、色々思考を巡らす方もいるのではないでしょうか。

今年の12月13日(金)、ニュースを見ていて気づいたのですが、
日本では年末モード全開のニュースだけでなく、ガソリンの値段とか年収の壁とか、今年の漢字とかお金に関する話が多かったような気がします。
基本的には正直どうってことないニュースばかりです。

ところが中国に目を向けると、
12月13日は日本人でいう長崎の8月6日、広島の8月9日みたいな日であり(或いは感情的にはそれ以上かも)、追悼行事があちこちで開催されていました。

12月13日は日本人学校は休校になっています。
どんな事件が起きるか分かりませんから。

さて12月13日は中国にとって、忘れることのできない「南京大虐殺」の日。
「南京事件」とも言いますね。
社会の教科書には年号と出来事が無機質に書いてあって、ただの数行で終わっています。
(そもそも中学校の歴史の授業で、触れてない学校もあるらしい)

もちろん感情を煽るような書き方は問題ですが、歴史の話は多少なりとも人間の気持ちを含めての描写でもいいのではと個人的には思っています。

歴史は暗記の科目なんて、ナンセンス。

確かに受験では記憶による力技で点数も左右されるので、それが目的なら丸暗記もありでしょうが、歴史の本質はそこではありませんね。

日本では12月13日に南京大虐殺があって、
犠牲者を悼み、その当事者の悔しさに思いを寄せる人などほぼ皆無でしょう。

Nanjing Massacre happened on Dec.13, 1937.

中国のニュース、香港やマカオのニュースでも追悼行事をリポートしていました。

なにせ国にとって忘れてはならない日ですから。

時は1937年12月13日、
日本の中央政府のコントロールが効かなくなった部隊が南京で
ありとあらゆる非人道的な行為をし、真っ黒な歴史を作ってしまいます。
詳細は中立性を大切にしているwikipediaを参考にすると悪くないかなと思います。

そこでの日本軍の行為を指示した部隊の責任者たちは
第2次世界大戦後の東京裁判(極東国際軍事裁判)でB級戦犯、C級戦犯の判決を受け処刑されています。

ここで私が言いたいことは何か。

ニュースなど一側面しか放送していないということ。
本当に限定的な描写なので、
視聴者のリテラシーが問われます。

我々ができることは建設的に前向きに過去の失敗を繰り返さないことを理解して、なんでもいいから行動すること。
今回のこのnoteの記事もそれに該当します。

もちろん南京大虐殺の真相は分かりません。被害の実態も数も本当のところは知りえません。


でも出来事はあった。

順不同で恐縮ですが、
チンギスハン、元寇、ローマ帝国、ヒトラー、無敵艦隊、大英帝国、原住民と入植者、日韓併合、従軍慰安婦、領土問題、拉致問題、真珠湾攻撃、原爆の正当性、終戦のきっかけ、関税、貿易、お互いの宗教の主張、それこそ気候変動問題も立場によって、意見が真っ向にぶつかり合います。

結局、究極的には人間は自分勝手な生き物ですが、
お互いがいい意味で自分勝手に生きられれば、
つまり相手に迷惑をかけないように自由に生きられれば幸いだと思います。

大陸どうしの問題、国どうしの問題、性別間の問題、人種間の問題、宗教感の問題、
ぜんぶ、人間の問題です。
日本国内にもたくさん問題があります。
あまりニュースではやっていないので、自分から学んでいかないとその事実に辿り着けません。

人間の問題を人間自身が解決できなくてどうするんですか?

私のnoteでの名前、「交差点東京」の「交差点」
人と人が交差する場所。

それぞれの人が行きたい方向に進み、何かの縁でその瞬間出会う。
みんなが同じ方向を向いているわけではありません。
「交差点」を見ていると、タイムスリップしているようでもあり、旅行しているようでもあります。
その入り口が「交差点」なのだと、私は認識し、
そこに底知れない魅力を感じています。

それでは。


いいなと思ったら応援しよう!