再掲① 取りつくシマのなさに救われる
<2017年5月30日の記事より>
人生何が救いになるか分からないもので。
今日、
わーこりゃ、取りつくシマ、ねーなー(笑)
というものに遭遇したのだけど、
その取りつくシマのなさのおかげで
必要に応じてしばしば顔を出す私自身の取りつくシマのない鎧が
ほろりとほどけてすごく癒された。
どんな愛の投げかけよりも、これが一番効果があるなんて!と驚いた。
そう、例え愛の表現であったとしても、
「投げかけ」「働きかけ」は一切無効だからこそ、
取りつくシマがないのであって。
もちろんその好意や思いには心から感謝はするのだけれど。
今日遭遇した取りつくシマのない一見厄介なソレは、
私にとっては至極真っ当で、健全で、日常だった。
だからすごく救われた。
取りつくシマもないから、かみ合うことも寄り添うこともないのだけど。
私の友人に、体の各部位の発する周波数と
同じ周波数の音の声を出して共振させて、
ニュートラルな状態にトーニングする仕事をしてる人がいるのだけど、
まさにその原理な気がした。
私がこの世界で私を生きてる限り、
必要に応じて生まれる鎧は皮膚みたいなもので、
それはただの個性に過ぎなくて、
取りつくシマがなくなるのもそれに思い煩うことも含めて
それはただ、私であるだけのことだ。
そんな、肯定と呼ぶにはあまりにも針がどこにもふれない、
「それでしかない」と言う肯定感が、今日の想定外の出会いにはあった。
これが私にとっては一番の癒しになり、一番の救いにもなり、
生きる動力だわ、と、改めて思った。