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「空飛ぶ車」はすでに実装されている


はじめに 近未来イメージとしての空飛ぶ車

よく近未来のイメージの中に「空飛ぶ車」が登場する。私たちの身近な移動手段が三次元空間で動かせるというもので、未来における利便性の具体例として頻繁に挙げられる。そのイメージは、フィリップ・K・ディックの小説など連綿する国内外のSF作品がもたらしてくれたのだろうと思っている。

さて今日はこの「空飛ぶ車」について、すでに私たちは実装しているのではないかという話をしてみたい。

私の持っている車は空飛ぶ車だ

私も自家用車を持っている。普段は普通に道路を走っているのだが、時たま空飛ぶ車になる。陸空両用自動車といった具合だ。

どういうことかというと、高速道路で高い橋を渡り、連続する都市の上や、山と山、谷と谷とを超えることがあるからだ。

すなわち高速道路は車を空飛ぶ車にしている。

さらに言えば、トンネルで地中を潜る車にしている。海の底を走ることも可能だ。

空飛ぶ車は車の方自体を空飛ばすのではないく、設置面を空にすることで可能になったということだ。

空飛ぶ車のメリット・デメリット

ここでいま一度、未来視のなかで空飛ぶ車が求められた要因について考えてみたい。

空中ってのはさえぎるものがない。ビルだとか、鉄道の線路だとか、山とか谷とか、海岸沿いとか、道路を造成しにくいところを空を飛ぶことで一気に通過することができる。

例えば飛行機なんかはその恩恵を一身に受けて、私たちを早く遠くへ連れて行ってくれるだろう。

この空中という空間を利用して距離と時間の短縮を図るというねらいが、空飛ぶ車というイメージの念頭に置かれていることは相違ない。

一方航空機と比べた時に、自家用車レベルで空を飛ぶデメリットとして「空中の混雑」が想定される。私たちが空飛ぶ車で随意に、例えば自宅と職場とを往来すると、(自動運転などが確立しない限り)おそらく事故が起こる。三次元空間で行ったり来たりする空飛ぶ車を全体でコントロールする方法が、現今の社会にはないのだ。例えば下方斜め後ろから高速でやってくる車に私たちは気がつけない。

もちろん空中に回廊のようなものを設けることは可能だ。空中にブイやマーカーを設置するのは難しいから、例えば車の前方ウィンドウにオンラインで同期した擬似的な回廊を表示し、それに沿って運転するといった方法はあるだろう。空飛ぶ車専用メガネや、空飛ぶ車運転アプリを搭載した液晶表示器を網膜にインストールするとか幾つか方法がある。

いずれにしても、空中での車の統御システムが空飛ぶ車の実装のためには必要だ。ところがこれらは未だSF的な発想の領域を出ていない。これがデメリット。

「空飛ぶ車装置」としての高速道路

高速道路は、前述のメリットを活かしつつデメリットを軽減した装置といえるだろう。適切に橋梁やトンネルを配置し都市や山間部を貫き、要所要所へ私たちを短時間で連れて行ってくれる。また同時に、三次元空間を無秩序に移動しかねないというデメリットを、しっかりとした道路を設け各種の看板や交通ルールを掲げることで克服している。

要するに、高速道路は「車がふんわり空中に浮いていない」という点に目を瞑れば、全くもって空飛ぶ車の用件を見事に満たしている装置といえるのである。

高速道路を使えば私たちの車は空飛ぶ車になる。

おわりに 想像と現実と想像

なーんだ空飛ぶ車は結局なかったんじゃないか。と思うかもしれない。若干俺もそう思う。車がふわふわ浮くってわけじゃないからね。

でも高速道路で移動していると私はやはり「今、車空飛んでんな」と近未来を感じる。火星からきたアンドロイドでも追跡しようかという気持ちになる。高速道路は当たり前に私たちの社会に存在しているが、実際にはかなりSF的な装置だ。

「空飛ぶ車」のような、物語からのイメージがそのまま未来の現実の技術になるわけではない。ところがどっこい、その現実からよくよく想像してみると、かつて私たちが想像したような事柄が形を変えつつも現実となっていることに気付かされることがある。

高速道路はそんな存在の一つだ。


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