「四天王」ってたまに5人以上いることあるじゃないですか そうなる法則について、いつも考えています
はじめに 四天王が5人以上になってしまうことについて
四天王が往々にして5人以上になってしまうことがある。個人的にはギャグ漫画『魁!! クロマティ高校』でクロマティ高校の四天王が5人いることがギャグになっているのが、四天王(5人)を知った初めての経験だ。
こうしたあえてネタ的に四天王が5人になることも多いけれども、実際歴代の「〇〇四天王」が5人あるいは5人以上いることが結構多い。
というか、真面目にかっちり四天王なケースがかえって少ないくらいではないか。
実は四天王なのに5人以上いるというのをギャグにするのは普通のことで、実際には面白いようで面白みに欠けるのではないか、と私は考えている。
本稿では四天王が4人のケースと5人以上になってしまうケースとで一体何が違うのかを考えてみよう。
5人以上になるパターンのひどい事例
義経四天王
源義経の四天王は、義経が何の芸能作品に登場するかで変幻自在に変わってしまう。以下はwikipediaからの引用だ。ざっと見てみてほしい。
佐藤忠信…『源平盛衰記』における義経四天王の一人。
伊勢義盛…古典や伝承における義経四天王の一人。
亀井重清…古典や伝承における義経四天王の一人。
片岡経春…古典や伝承における義経四天王の一人。
武蔵坊弁慶…古典や伝承における義経四天王の一人。
以下は物語のみに見られる人物。
義経四天王が10人いる。
武田四天王
戦国大名の武田家の家臣四天王。
時期によって総入れ替えしている。
その他の事例
その他についてはニコニコ大百科の事例に詳しい。
四天王がちゃんと4人のケース
四天王
持国天・増長天・広目天・多聞天。
徳川四天王
考察
5人以上になる場合の傾向性
後世の時代に、四天王になる5人以上の候補者の中から誰かが任意に選んでいる傾向を看取できる。戯曲や歴史書編纂の中で、後世の作家や史家がそう定める四天王は、それ故に誰か他の四天王設定を妨げ得ず、四天王が5人以上となる契機を生んでいるのではないか。
割とちゃんと4人に収まる場合の傾向性
四天王は如上の理由により常に5人以上になりうる。その前提に立って、4人に収まるケースを例外的に考えるべきなのかもしれない。
あえて4人に収まるケースに通底する法則として、その対象の権威性が高いということが挙げられる。
まず、リアル四天王の持国天・増長天・広目天・多聞天は、仏教という極めて多くの人々に広まった宗教という権威性がある。そのため、それをあえて増やしたりしようものならば、仏教勢力から反論や攻撃が起こりうる。そのため、四天王が四天王以上になることは今までもこれからも想定しにくい。
徳川四天王もそうした性質がある。江戸時代を通じて徳川家は支配者だったわけだから、その四天王を増やそうものならお上にたてつくことにつながる。そのため、徳川四天王は徳川四天王のまま収まったのではないか。
逆に、義経や武田氏は歴史の敗者故に多くの人により物語化がされやすかった。このことが四天王の増加を招いたのではないだろうか。
増える四天王と増えない四天王
ということで、増える四天王と増えない四天王の違いは「〇〇四天王」の〇〇にどこまで権威性があるかに決まってくるという趣旨の話をしてきた。
「〇〇」の権力性次第だということだ。実は「〇〇」に入る存在がギャグやおかしみを演出したければ、その「〇〇」はあえて四天王を5人以上にするという選択も可能だ。
それほどまでに四天王を束ねる「〇〇」次第のところがある。「〇〇」が偉ければ偉いほど、あるいは言を変えるならば「〇〇」が他者の言及を退けられればられるほど、その四天王は強固になるということになる。
なのでかっちりとした四天王は私たちでも作れる。
自分の事柄で、他者に参照されにくい事柄でオリジナル四天王を作ればいいわけだ。
私は自分の持っている靴下で四天王をさっき作ってみた。もし穴が開いてしまったら交代だ。そうした随意性を含めて、私の靴下四天王は強固な存在と言えるだろう。