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ナショジオ「ハイエナは乳首が『2つしか』ありません」 ←これおかしくないか?
はじめに ナショジオ見てたら・・・
ある時私は、文化的な最低限度の生活を維持するためYouTubeでナショナルジオグラフィクの動画を見ていた。
アフリカのサバンナで子育てをするライオン・チーター・ハイエナ・ミーアキャットに焦点をあてた番組だ。
その時にハイエナの説明で、「ハイエナの乳首は2つしかありません」という内容のナレーションが入った。
正確には「ハイエナは2つしか乳首を持たないので、子供の間で熾烈な争いが起きます」なのだが、いずれにしてもハイエナは乳首が「2つしか」ないわけだ。
うーん、これっておかしくないか!?
私(たち)も2つしかないんだが!!
1 乳首は2つしかありません ←いや自分で自分の乳首数えてみろよ多分2こだぞ
いや俺も流石におっさんだからわかるよ。ライオンは4つ乳首があるし、チーターは8つ乳首があるそうだ。それに対してハイエナは2つしかない。こういう文脈だから日本語の「しか」を使ってるってことだ。
番組ではハイエナの子供達がたくさんいるのに、2つしかない乳首を争って成長していくことを説明していた。ライオンやチーターと比較して、おっぱいにありつきにくいこと、ハイエナの子供たちに序列が生まれることを説明していた。
そうしたことはわかっているつもりなのだが、私はどうしても2つ「しか」という台詞が引っかかってしまう。
なぜなら、我々人類の乳首の数もまた2つだからだ(たまに乳首がもう少しある人もいるらしいぞ)。
俺はナショジオを見ながら、シャツを上げて、ぢっと、自分の乳首を見る。石川啄木みたいにな。
そして乳首の数を数える。2個だな。
そうした時に思う。どの面下げてハイエナさんに向かって「ハイエナの乳首は2つしかありません」とのたまうことができるのか? ということを。
2 乳首は2つしかありません ←誰目線なのか?
いや何回もおんなじ話するけどわかるよ。ライオンやチーターと比べてハイエナの乳首の数が少ないから、2つ「しか」ありませんとなるわけだ。
でもそれを語るナショジオはどの立場でこれを言っているのか? まさか自分がライオンか何かだと思って状況を説明しているのか? 犬でもいいぞ。猫でも。あるいは神か? 神視点なのか? いや神も乳首は2つじゃねーかな!?
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とにかく、冷静に考えると「ハイエナには乳首が2つしかありません」と言える存在は、少なくとも乳首を3つ以上持っていないと辻褄が合わないのではないか?
もしナショジオの乳首がそれなりにあるんだったら俺は納得するが、多分ナショジオ制作陣の乳首の個数は2こだ。もちろんライオンは4こ、チーターは8こあるってのは十分にわかる。だからと言って、私たちはライオンやチーターではない。
ということでまとめると、一般的に乳首を2こしか持っていない人類は、いくらライオンやチーターとの比較の文脈であっても「ハイエナには乳首は2つしかありません」とは言ってはいけないような気がするのだが、そのような観念を持っているのは私だけであろうか?
おわりに サバンナで同じことを言えるの?
ではどうすればいいのか? 簡単である(個人的には)。
ナレーションを「ハイエナの乳首は2つです」にすれば良い。「しか」という日本語を使うからおかしなことになる。
私たちの乳首はハイエナの乳首と個数がおんなじなのだから、いくらライオンやチーターと比較する場面とはいえ、「しか」を使うべきではないというのが私の意見である。