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「木を隠すなら森の中」という言葉にあまり納得していない理由

たまに気にくわない日本語ってありますよね。


はじめに 「木を隠すなら森の中」という慣用的表現

木を隠すなら森の中

読み方:きをかくすならもりのなか
別表記:木の葉を隠すなら森の中

物を隠すには同種の物の群がりの中に紛れ込ませる方法が最適である、という意味合いで用いられる慣用的な言い回し。
(2017年7月10日更新)

実用日本語表現辞典
https://www.weblio.jp/content/%E6%9C%A8%E3%82%92%E9%9A%A0%E3%81%99%E3%81%AA%E3%82%89%E6%A3%AE%E3%81%AE%E4%B8%AD#goog_rewarded


私はこの言葉があまり好きではなく、日本語話者として自分では使用していない。

今日はなぜ使いたくないのか語っていくぞ。

1 いうほど木を隠すか?

まずたとえ例え話としても、木を隠すかという話だ。あなたは何か必要があって木を隠したこと、ありますか? ないでしょ。

2 いうほど森に隠すか?

仮に木を隠す必要があるとして、森に隠します? 森の中に木を植えられるところあります? それにそんな大規模なことをして、森の中で1箇所だけ変な木の生え方してません?

3 この言葉の原典から考えてみる

もともとは「葉を隠すなら森の中」という言葉が「木を隠すなら森の中」の出所になっているようだ。

探偵もの『ブラウン神父』シリーズの小説の中に登場する。

『ブラウン神父』シリーズの「折れた剣」より、ブラウン神父が下記の言葉を言っている。


「賢い人は葉をどこへ隠す?森の中だ。森がない時は、自分で森を作る。一枚の枯れ葉を隠したいと願う者は、枯れ葉の林をこしらえあげるだろう。死体を隠したいと思う者は、死体の山をこしらえてそれを隠すだろう」

ピクシブ百科事典「葉を隠すなら森の中」
https://dic.pixiv.net/a/%E8%91%89%E3%82%92%E9%9A%A0%E3%81%99%E3%81%AA%E3%82%89%E6%A3%AE%E3%81%AE%E4%B8%AD

この原典の表現ならばより意味が通りやすいように思う。まず樹木よりも葉っぱの方が実際隠しやすいし、隠すシチュエーションも想像しやすい。

それにこの原典では、「あるモノを隠す際に、そのモノをたくさん用意して紛らわせる」ということに力点が置かれているように思う。単純にモノを隠すのではなく、(犯罪などにより)あるモノを隠す必要があり、そのモノを多くこしらえることで隠そうとする。そうした営為が表現されている。

「木を隠すなら森の中」はこうした原典のエッセンスが全く捨象されてしまっている。それに葉っぱじゃなくなってしまってもいる。

原典との乖離がある点もあまり使いたくない理由の一つだ。

4 俺が木を隠すなら

私がもし木を隠す必要があるならば、どうするか。

私だったらあえて隠さない。生えてるそのまんまにしておく。これが樹木としての普通の状態だからだ。変に隠そうとすることで、そのことが露見してしまう。

つまり、隠していることを隠すのだ。わざと堂々と、隠したい木をそのままにしておく。

つまり木を隠すなら森に隠さないのだ。こんなふうに考えているから私は「木を隠すなら森の中」って言葉を使わないのだろうと思う。

おわりに 「木を隠すときに森には隠さないでしょ」

ということで、「木を隠すなら森の中」という言葉は疑問点が多いという話をしてきた。実際に木を隠すこともないし、森の中に木を隠すとすぐバレると思う。

この言葉は、あらわす意味を実現し得ない慣用句と思っている。

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