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北海道帯広市某所のトイレのウォシュレットの説明文について、納得がいかないので見てくれ


はじめに

まずはこの写真を見てくれ。個人的に全然納得いかない説明文があるんだ。


帯広市某所のトイレウォシュレットの説明文

一応、文字起こしもしておくぞ。

  1. 便ふたを開ける

  2. すわる

  3. 用をたす

  4. あらう

  5. 止める

  6. トイレットペーパーで水滴を取る

  7. 立ち上がる

  8. 水を流す

  9. 便ふたを閉める


……。

…………TOTO社は我々現代日本人をなめているのか?


1 ウォシュレット以外のことを指示してくる!!

まずこの説明文の最大のおかしいところは、ウォシュレットを使用するための「つかいかた」であるのに、うんちとかの作法まで言及している点だ。

俺たちは長い人類としての歴史のなかで、子供のころに先達にうんちの仕方を習う。習ってきた。近代では家庭のなかでお母さんやお父さんなど保護者の方に、うんちの仕方を習ったはずだ。もう遠い思い出で個人では思い出せないかもしれないけれども、とにかくうんちの仕方を習って、私たちは現代社会を今日も生きている。

遥かな古代では、乳母だとか一族の長老だとかに習うこともあっただろう。トイレの常識もそれぞれの時代と地域でいろいろあるはずだ。そのいずれであったとしても、ひとまずはトイレの仕方を私たちは先輩から習ってきた。

TOTO社はうんちやおしっこを掌る会社でありながら、そうした人類の営みについて全く信用していない。


2 謎の指示たちを具体的に見ていこう

まず1の項目を見てほしい。

1 便ふたを開ける

皆さんは、トイレに行ってうんちするとき、便ふたを開けなかったことがあるだろうか? もちろん便ふたが初めから開いているのであれば、それ以上開けられないのだからそのまま座れば良い。

だがなぁ、俺はそんなことを言いたいわけじゃあない。多分このTOTO社の「つかいかた」は、便ふたが閉まっていた場合を想定している。

その際、現代日本に生きていて、便ふたを開けないまま座り、そのままうんちしちゃう人はどれだけいるだろうか? ほぼいないと思う。

例えば泥酔していて、便ふたを閉めたままうんちしちゃう人は可能性としてある。ところが、そんなに酔っている人は多分「つかいかた」を読まない。

「つかいかた」を読む人は、ほぼ全員がほぼ生得的に便ふたを開ける習性を備えている。

こんな感じで続けて見てみよう。

2 すわる

皆さんは、洋式トイレでうんちをする時、座らないことはあるだろうか? 私たちは、TOTO社に言われて初めて、「うわぁ座り忘れるとこだったわ!」と気づいて、座ることをトイレにおいて為すほど、トイレに未成熟だろうか。

すわるでしょ。2がなくても。

あとも同じ要領で見ていくぞ。

3 用をたす

私たちはなぜトイレに入るのだろうか? 

\ うんち! /

それはうんちをするためだ。当然ながら、便秘気味だったり調子が悪かったりして結果うんちが出ないでトイレから出ることもあるだろう。

でも今回はそんなことは関係がない。私たちはうんちをするためにトイレに行く。

もちろん携帯電話をいじったり、昔だとタバコ吸ったりして仕事をサボる際にトイレへの立てこもりは発生しうる。

ただし、そんなサボりの時は、ウォシュレットの「つかいかた」なんか参照しないだろ。

ここは大丈夫。ちゃんとウォシュレットの説明になってる。というか! ここをちゃんと説明しろよ!!!! TOTO社!! ここだけでいーんじゃねーかなぁ!?

7 立ち上がる

最大の問題はここだ。

大問題だ。

7は大問題的セクションだ。

今日はみんなにこれを見せたくてnoteをここまで書いてきた。見てくれ。

何回も同じようなことを繰り返して申し訳ないが、トイレでうんちした後、皆さんは立ち上がらなかったことはあるだろうか?

そりゃあ調子悪くて倒れそうなことがあったり、酒呑みすぎてそのまま寝ちゃったりとか、そーいうのは当然ある。

でも「つかいかた」を読めるような一般的な状態において「7 立ち上がる」をナチュラルに行わないことはあるだろうか。

「どれどれ使い方を見ると・・・7番目には立ち上がると書いてある。そ、そうか!! 立ち上がれば良いんだ(フルチン)!!」みたいなことありますか? って話だ。

この1〜9はどれも全部少しずつおかしいのだが、7が一番クレイジーだ。トイレで立ち上がることを指示されている。しかも天下のTOTO社のお墨付きだ。

最後はここ。ここもほのかなおかしさがある。たまに、水を流し忘れていたりバーを押す力が弱くてうんちが便器の中に残ってしまうことは、まぁある。だが、ここではそんなレヴェルじゃない指示を私たちは受けている。

水を流すのは、社会常識ではなかったか。

忘れることはもちろんあるけれども、水を流すことはその前提となっているのではなかったか。あえてTOTO社から臆面もなく番号を振られて「8番目に水を流す」ことを言われると、私たちが社会で培ってきた常識やルールとは一体何だったのかを思わせられる。

そして9。別にこれ8と入れ替えても良いよな。なぜ9にしているのか。8じゃダメなのか。TOTO社はこれを我々に規定するいかなる権利を有しているのか。便器を作っている会社に過ぎないTOTO社に、先に水を流すのか蓋をするのか決める権限はあるのだろうか。


おわりに いやウォシュレットの説明をしろよ!

この「つかいかた」張り紙は、はっきり言って謎すぎる。ウォシュレットの使い方説明をするべきところ、うんちをする際の順番の説明をしている。まずこの時点で国語の点数が低い。

そして、私たちはうんちをする際の順番はお母さんはじめ保護者から習いに習って、その上でトイレに参陣してきている。それは張り紙で習う事柄ではない。成長の中でかなり原初的に学習するものだ。

4と5だけでいい。いいだろ。

若干の考察

最後になぜTOTO社は斯様な「つかいかた」を貼ったのか、若干の考察を加えて本noteを締めよう。

「つかいかた」を見る限り、TOTO社は私たちを基本的に信用していない。

「座る」と書かないと座らないと思っているし、「用を足す」と書かないとうんちしないと思っている。

確かに、膨大な量の便座やトイレを作り管理していると、時にとんでもなくトイレが汚れてしまう場合に出くわすのだろう。

トイレが詰まって逆流したり、便座にうんちがついてしまったり、いろんなことがあるだろう。たまに人類は突拍子もないことをしでかしてしまう。頻度は低いが、大量のトイレ使用のなかで起こる事件をTOTO社はずっと見続け、そして対応し続けてきたのではないか。

おそらくそのなかで、TOTO社はダークサイドに堕ちた。

私たちのうんちにまったく信用を置かなくなった。

低確率だがやらかす連中だ。人類に対し、TOTO社はそう思っているのだろう。

大量の経験を経てTOTO社が出した結論が、あの「つかいかた」なのである。

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