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「雄弁は銀、沈黙は金」 ←うるせえ! 黙れ!

おしゃべり戦略!


はじめに 雄弁は銀、沈黙は金 ←うるせえ! 黙れ!

よく言われる格言に

雄弁は銀、沈黙は金

というのがある。簡単に言うならば、余計なことを言わないで黙っているほうが価値があるということだ。

私はおしゃべりだ。どっちかっつーと銀タイプのポケモンだ。

それで、おしゃべりな私だからこそわかることがある。それは銀だって十分価値があるし、金と異なる銀ならではの優れた点があるってことだ。

今日はそれについて考えてみたい。

銀タイプの人間だっているだろう

おしゃべりだといろいろ余計なことを言ってしまう。余計なことを言ってしまったあと、取り繕おうとしてさらに墓穴を掘ることだってある。

おしゃべりなみなさんはこうした経験が結構あるのではないだろうか。

「雄弁は銀、沈黙は金」の諺は、この辺りの「余計な一言」を避けるためのメッセージなのだと言うことは十分にわかっている。

しかし思うにこの諺は、人間の適性というものを等閑視している気がしてならない。

要するに沈黙が得意な人もいれば、おしゃべりな人もいるということだ。

人間押し並べて「沈黙は金」とはなれない。かけっこが得意な人と苦手な人がいるように、犬好きの人や猫好きの人がいるように、人間の適性や嗜好はてんでバラバラだ。

近年の日本社会ではそうした適性を見て就職先や進路先を決めたり、あるいは会社に入ってからも適性審査などをして部署の異動の判断材料を求めたりする。

なぜ「雄弁は銀、沈黙は金」は、その人の適性を見ないのか。どうしても銀タイプの人だって、結構いるんじゃないだろうか。

俺は銀でやっていく

金にはなれない。でも銀で頑張って銀を極めていく。こうした決意表明を、どうして批判できようか。

銀は銀なりの生き方がある。

金と価値を直接比較すると劣後してしまう銀であるが、銀の用途は幅広い。

有名どころだと、銀の食器を用いることで食事にヒ素などの毒が盛られていないか判定することができる。あとは抗菌性があったりする。

銀は銀なりの用途があるのだ。

このことは、おしゃべりなことが単純に悪いことではないと言う話につながる。おしゃべりなことでいろいろとことがよく運ぶことだってあるだろう。

金と価値を比較したときのメリット

実は金とその価値を直接比較した時ですら、銀にはメリットがあると私は考えている。みなさんは金相場とか見るだろうか。戦争や恐慌が起こる時、金が持つ価値の普遍性のため、金価格が高騰することがある。

銀についても、一般的には金と同じような安全資産として考えられている。そのため銀の値動きは金と同じような方向に進むのだが、実は完全に同じにならない。それどころか、銀は価格が安いために調達がしやすく、金よりも変動が激しくなるのだ。

つまり、銀の方がより身近に手に入るが故に金とは異なる動きをするのだ。

こんな感じで銀は銀で価値が低いことを良いことに独自の相場を形成する。

ここからは、やはり雄弁にも幾ばくかの美点がある可能性を認められる。すなわち「それなり」に価値を持つ雄弁が独自性を持つことだってあるだろう。

おわりに 「雄弁は銀」の大切さ

重要なことは、「雄弁は銀、沈黙は金」を単純化させないことにある。ただ雄弁と沈黙とを比較し優劣をつけるだけではもったいないし表層的だということだ。

銀は金と比べても独自の役割が確かにありそうだ。金に価値が劣後する、という事柄自体にすら価値がある。

つまり雄弁は雄弁なりに役割がある。大切なことは、どんな時に雄弁が役割を果たすのかをしっかり見極めることなのではないか。

私はおしゃべりなのだが、おしゃべりをただ悪いこととは考えない。しっかりおしゃべりの使い所を見極めておしゃべりすることで、周囲の人間関係を円滑にしたり、何らかの説明をスムーズにできたりと、自分の適性を発揮できると信じている。

銀と同じように、おしゃべりも使いどころ・使われどころ次第なのだ。



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