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中学生の時のちょっとびっくりした(ちょっとエッチな)出来事


はじめに 乳首を見た話

この話をするとあらゆる階層から毎回色々な角度から怒られたり揶揄われたりするからnoteでしか書けないのだが(謎理論)、今日はその話をしてみようと思う。

中学校の時、学校による泊まるタイプの宿泊研修があった。レクリエーションって名前だったかも。

その時、クラスのKさん(本当はTさんなんだが、漱石に倣ってここでは仮にKさんとしよう。)が何人かとたむろしているところを通りかかった。

ここでKさんはいきなり私に向けて、バッと服の上着を持ち上げた。上着とシャツを持ち上げた。さらにブラジャーも持ち上げていた。ということでおっぱいというか乳首が見えたのだ。すぐに上着を元に戻して、元どおりに。

中学生だったのでエッチなことにもちろん関心も衝動もあったのだけれども、あまりに意味不明で動揺してしまった。しかももう一回通りかかった時に同じことをしており、私の目の錯覚だったとも思えない。

この2回の乳首見せは一体何を意味していたのか?

今日はこのことを考えてみたい。

この話をしようとすると・・・?

この話は周囲の人に語るのは諦めている。地元は田舎なので同級生に話すのは男子であっても女子であっても距離が近すぎる。本人や、本人の友人たちにすぐに話が繋がってしまうし、それに中学生の頃の話を今更こいつ何言ってんだ? とか、そんな昔のこと全然覚えてないぞ? とかなって、私がちょっと変な人間に思われるという可能性が高いのだ。いや私は普段から変な人間だと思われて入るだろうけど、この方向性(昔Kさんに乳首を見せられた)の変な人とは思われたくないという気持ちもある。ということで周囲の人に話すのは諦めている。

大学生になった時、中学の頃と人的ネットワークが全く異なるため、この時の話を一度したことがある。ただ、大学生の男子どうしの集まりだったので「おおおおーーーーーぃ!!! 羨ましいなぁ!」「何そのエピソード!」みたいにわーって盛り上がってしまい、乳首見せの理由や原因について発展して話をすることが叶わなかった。

大人になってもずっと誰かにこの出来事が何だったのか話したい気持ちがある。職場の人にこのことを相談してみたいと思っている。現在の職場は女性が多くかつ同世代の方が多いので、女性ならではの意見も聞けるのではないか。だが、現在の職場の女性陣はおしとやかな人が多くて(図書館の司書さんみたいな雰囲気)、下ネタ? もあるいは行けそうな気がするのだが、私の職場でのありようが毀損される可能性がそれなりにあり、聞くに聞けないのだ。じっ、と我慢して仕事の話や世間話をしている。

いっちばん可能性がある相談相手として妻がいるんだが、妻はかなりお嬢様タイプ(すなわち夏目漱石で例えるとお嬢さん)なので(回転寿司でいきなり何も考えず初手で生うにを取るタイプ。シーサラダ軍艦とかタコとかで空腹を抑揚するという発想がない)、こういう話題はちょっと苦手なので話をするべきでないような気がしている。

こんな感じで、なぜあの時乳首を見せつけてきたのか、いまだに十分な議論がなされていないのが現状である。

そんな事情があるので、この木のウロであるnoteにこれを書いている次第だ。それでは章を改めて、あのときKさんがなぜ乳首を見せていたのか考えてみたいと思う。

乳首見せの理由

私を魅了しようとしていた(そんなことはない)

Kさんが私のことを好きすぎて私を魅了しようとしていたのかというと、そんなことはない。なぜならあの時周りにほかの女子がたくさんいたわけだし、Kさんがその後ほかの態度で私に好意を向けるということなどは、少なくとも私の記憶にはないからだ。

おそらく、何らかの罰ゲームだったのではないか?

今のところの1番の予想として、あの女子グループの中で何かゲームをしていてKさんが最下位になり罰ゲームをしなければならなかったのではないか? ということだ。

つまり罰ゲームとして、男子におっぱいを見せなければならないというシチュエーションだ。

レクリエーションでは夜更かしが可能だった。みんなでいろんな遊びをしていて、眠くなったら寝る感じだった。夜の中学生の悪ノリでゲームを始めて罰ゲームを決めて、その結果が出たのではないか。

今40年近く人生を生きてきて、おそらくこの可能性が最も現実に近いと思っている。

あの時以降、Kさんにこのことを話したことはもちろんないし、このことが真に解決することはないように思う。

あと念のため付言しておくと、Kさんはどちらかと言うと女子のリーダー的存在で一軍的ポジションにあり、いじめとかそういうのがあったわけではないと思う。

おわりに 訳のわからないことを訳のわからないままカバンに入れておく

こうした謎乳首見せのような「訳のわからないこと」は、目標や目的や結果や成果ばかりがデータで明示される今の暮らしにはかえって貴重かもしれない。

訳のわからない割り切れないことはモヤモヤする。でもそれもまた現実の一つだ。

社会が複雑になりデータがモノを言う時代だ。数字で例えると、2や3みたいなタイプが現代社会ではよく使われるのではないか。割りやすく、使いやすく、わかりやすいからだ。でも同じように数字として7や11がある。頻度として、私たちは7や11やあの時の乳首を考えにくい社会を生きている。2や3みたいな、理解できて、相手に伝えられて、社会にとって意義や生産性のある事柄ばかりが優先される。

果たしてこれでいいのだろうか。謎の乳首見せのような、答えのでないモヤモヤを抱え続ける。このことが、複雑なのに答えを明確に求められる現代社会の中で、ある種の悟性や柔軟性を保つために重要なのではないだろうか。

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