手フェチの後輩女子との出来ごとから


1 手フェチの後輩

高校3年生の時、私は自然科学部に所属していて、受験勉強(の真似事のようなもの)を理科準備室でしていた。

後輩の女の子がシソに水をやっていた。なんでかわからないのだが、自然科学部ではシソを育てていたのだ。

私は特別手が綺麗ってわけじゃあない。指の長さは短いほうだ。ただ、爪がやたら綺麗でなんもしてないのにピカピカしており、手全体とのバランスがいい。

これもその当時は気づかず、長い人生を経る中で女性に指摘されることが多くあって理解したものだ。おそらく私は豚肉が大好きで、栄養がよく血色がよく見えることが爪の綺麗さに一役買っていたのだろう。

「先輩・・・」

いつの間にか近くに来ていた彼女はそう言うと、私のシャーペンを持つ手を両手で包み込む。そして爪をぺたぺたと指先で触ったり、親指の腹でなぜたりし始める。

私は驚いたけれども、『ジョジョの奇妙な冒険』の4部を読んでいたからな。こーいうフェチがあるってのはなんとなくわかっていた。

しばらく繰り返していた彼女は、再び両手で私の手を包み、自分の胸元へ引き寄せ、少しだけ頬擦りをした。そして、私の手を顔の目の前に持ってきて、恥ずかしそうに上目遣い。

私は構わないというそぶりをしたか、なにか「いいよ」という合図を送ったと思う。

あまり時をおかずして彼女は私の爪を口に含み、はむはむする。彼女の短い吐息というか声というかが聴こえる。

しばらく続けた彼女は、唇から私の手を退けて、あらためて撫ぜながら触れて、じっと爪を見つめる。

「・・・ごめんなさいっ」

小さく言ってポケットにあった可愛らしい黄色のタオルハンカチで私の手を拭って、ダッシュで理科準備室から出ていく。

彼女は私のことを好きだったとかそういうのは全然なくて、なぜなら普段から私ではない意中の人物についてよく周囲に話していたからだ。

ということで単純に手(というか爪)が好きすぎてどーしようもなくなって、こうなったんじゃないかと思う。

このあと彼女とは変な雰囲気になることは多分なく、次会った時に、気にしてないし、変にいじったりしないということを示せるよう接することに気を配った記憶がある。

なお彼女とそのフェチへの敬意のため、シソのあたりからそれなりにフェイクを入れている。


2 私のフェチ

翻って私である。ちょっと書いてて恥ずかしいのだが、女性が靴下を脱ぐとなぜか心がドキドキしてしまう。多分、靴下を脱ぐってのをとってもプライベートな行為と思っているからだと思う。

ブーツを脱ぐ姿とかも魅力的に感じるから、仕草なども関係しているのかも知れない。そして靴下はブーツよりもより身体に近いところなので、よりドキドキするのだろう。

しかしまぁ高校時代などは女子が靴下を脱ぐってのはそれなりに見かける光景で、そんな時は社会で習った鎌倉新仏教のことを一生懸命考えて気を紛らわせていた。制服ってのはオフィシャルなものだから、その靴下を脱ぐ振れ幅を思うと、歳を取った今から考えても鎌倉新仏教の存在は大変ありがたいものだった。センター日本史Bは鎌倉時代が真っ先に満点を取れるようになった。

それでも時にはとんでもないことが起こってしまうもので、当時「プール掃除」というものがあって………………いやこれ以上は何も言うまい。

なおこの章はフェイクなどはない。


3 そして手袋を噛むイラスト

大学院生くらいの時に、『黒執事』の絵について研究室で学友と話をしたことがある。

その当時『黒執事』の主人公は、表紙や宣伝コーナーなどのイラストで頻繁に手袋を噛んで、手袋を外したり(あるいは付けたりも)しようとしている姿が見られた。

学友はこれを見て「なんだこれ? なんでこいついっつも手袋噛んでんだ?」とか言っていた。私は適当に彼の話を流したのだが、なぜ主人公のセバスチャンがいつも手袋噛んで外そうとしているのか、多分、少なくとも学友よりかは解っていたと思う。

これ好きな人かなりいるんじゃないだろうか、って想像ができたのだ。


4 組み合わせから想像する

ちょっと書いてて色々恥ずかしかったのだが、ようやく今日言いたいことに辿り着いた。1のできごとと、2のできごとは互いに別の事柄だ。でも、フェチってところは通底している。別の事柄だが、わりと大きめの公約数を持っている。

別の出来事に共通点を見出し、組み合わせて考える。

「想像力を持つ」ということはこういうことなのではないか。私は1と2の経験があったから、3の事態に学友よりかは優位に想像を働かせることができた。

組み合わせることで、未知の事柄を想像できる。その組み合わせは、個別の出来事の中から共通点を見つけることで生み出される。

人生の糧になるようにいろいろな体験をしよう、というのはよく言われることだ。それはもちろんだけれども、いろいろな体験から共通要素を見つけ出すこともまた大切で、それが想像力への原動力となるのではないだろうか。

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