お掃除のころころローラーをわざとちょっとサボってしまうのは私だけだろうか
序論 お掃除ころころローラーの魅力
もちろん掃除機が届かないところとか身の回りのちょっとしたところにお掃除ころころローラーを用いるわけだが、この掃除道具にはちょっとした魅力があると思っている。
それは、毛とかほこりがごっそり取れたら、なんだかほっこりするところだ。
本論 体毛とお掃除のタイミング
お掃除ころころローラーでの掃除を、私はわざとちょっとサボる。なぜなら、そのほうが部屋に体毛がたくさん落ちるからだ。
わざと不実をうながすようなブログを書いてしまっているのだが、ここにはちょっとした快楽がある。ローラーに毛がたくさんついていたら、とてもスッキリするからだ。やった感が出る。
もちろん私は大人なので、部屋が綺麗な方がいいってのは十分にわかっているつもりだ。
だが、どうしてもやってしまう。毛をためてしまう。カーペットに。
そして意外なことに体毛の落ちるペースは結構良い。私が男だからだろうか。毛がいい感じのペースで落ちていく。そのためお掃除ころころローラーを適度にサボれば、心理的に十分な毛の量をお掃除ころころローラーにつけることが可能になる。
この適度な需要と供給のバランスにより、私の安楽は成り立っている。
結論 掃除の気持ちよさ
掃除というものはやりたくないものなのだが、意外とやってみると楽しい。床やシンクをピカピカにするもが掃除の楽しさの一つとなるが、一方で汚いものがごっそり取れる状態もまた快楽につながる。
これらは表裏一体のものだ。キレイになるからこそ、何かにはその分の汚れがごっそりついている。
掃除の気持ちよさとしてどちらを見るのか。いずれにしても、双方は地続きの問題だ。
本論で述べてきた通り、これらの気持ちよさを最大化するためにキレイじゃない状態/汚れやゴミをごっそり取れる状態を時間軸の中で醸成させることは、掃除の快楽を高めるために重要だ。
強弓を引き絞るように、私たちは気持ちの良い掃除ができるタイミングを伺っているのである。お掃除ころころローラーは時宜をうかがうことの重要性を私たちに教えてくれている。