野球の右打席と左打席が、右と左の概念をやすやすと超越してくる件について
1 野球の右打席と左打席の意味が、冷静に考えるとよくわからない
もちろん定義はルールブックによる。ところが右打席と左打席は冷静に考えるとよくわからなくなる。
私は右利きだが、私が入るのは一般的にいう右バッターボックスだ。ところが、右バッターボックスは、打者の目線から見ると左側にある。左バッターボックスは右にあることになる。
当然、投手の側からは右と左が見かけ上正しくなる。投手から見ると、右側にある右バッターボックスには右打者が入る。左側にある左バッターボックスには左打者が入る。
打者側からは左右が逆、投手側からは左右が順になっているのがバッターボックスの秩序ということになるだろう。
すなわち、バッターボックスは、自分で右と左が決まらず、相手側から右と左が決まる珍しい例と言える。右手と左手で考えてみてほしいのだが、基本右と左は自分側で決められる。自分の胴体からの生え方で右と左が決まる。一方、バッターボックスでは全く逆のことが起こっている。
2 利き腕は関係があるのか?
このバッターボックスの秩序を考える時に、利き腕の理論が使用されることがあるが、これは個人的には間違っていると思う。
右利きのものが入るのが右バッターボックス。左利きのものが入るのが左バッターボックス。こうした整理は多くの場合可能だ。ところが、世の中にはいろいろな事情があって、右利きでも左打ちの選手がいる。逆は少ないけれども、可能性はないわけではない。
つまり、利き腕と関係なくバッターボックスは選べてしまう。そのため、右利きでも左バッターボックスに入れてしまうのだ。
また投手の側から見た時に右と左が決まるというバッターボックスの仕組みに改めて立ち返ってみよう。投手が右利きの場合、右が右打席で、左が左打席である。投手が左利きの場合、右が右打席で、左が左打席だ。
変わらないのである。おかしな話だ。
それに、投手が右利きであるにもかかわらず事情があって左で投げたとする。その場合も、右側が右打席で、左側が左打席に変わりがない。
ということでバッターボックスの決まり方には投手や打者の利き腕は関係がないということがわかる。
3 レフトとライトの問題
事情を複雑にしているのが守備位置の問題だ。野球にはレフト(左翼手)とライト(右翼手)がいる。レフトはバッター側から見て左側にいる。ライトはバッター側から見て右側にいる。投手のことを考えると、投手はレフトとライトに背中を向けているので考察が面倒なのでここでは省く。
要するに、バッターボックスと秩序が逆になっているのだ。
バッターボックスは投手から見た左右が正しく、レフトとライトは打者から見た方が正しい。投手とレフト・ライトとは味方同士、打者とレフト・ライトとは敵同士なのに、敵同士で見た方が左右が正しくなる。
これが混乱の度合いを深めていっていると言っても過言ではないのである。
4 統一理論 球の進む方向で左右が決まる
世の中には大変賢い人がいて、今の問題を一つの法則だけで解決してしまう人がいる。
教えて! gooというYahoo!知恵袋みたいな知恵袋がある。ここで私と同室の疑問を投げかけた投稿者に対して、明確に統一的な理論で答えた人物がいるので答えを以下に引用してみよう。
球の進む方向で左右が決まる、と回答者はいう。
確かに! ピッチャーが投げたボールが進む方向でバッターボックスの位置が決まる。投手と打者の利き腕とか目線とか関係なく、決まる!
そして同時にライトとレフトの表現の問題も解決してしまう。打球が飛んでいく方向を軸に左右が決まる。
おわりに 物事を整理するのが得意な人は、脳の中がスッキリしている
現象に対しあれこれ細かく腑分けできることは、能力としては大切なことだ。意外と多くの人が、これこそが頭のいい人の振る舞いだと考えがちである。
すなわち細かく分類できる人が頭のいい人だ、という認識だ。
ところが実際にはそうじゃないと思うことがある。ガチで頭のいい人は、そうした細かな腑分けなどを一本の筋道で整理してしまえる人のことをいうのだと思う。
今回で言うと、あれこれ左右を人やその利き腕、位置で考えることは多くの人が可能だと思う。ところがそれを、一旦人目線から離して、ボールで考えてひとまとめにして説明してしまえる力量こそが、「頭の良さ」なのではないだろうか。
頭脳の明晰さは、細々した事象からシンプルに法則を見出せるところにあるのだろう。
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