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最近クーポンでお得だったことあります? 逆に損しません?

クーポンってむしろ損しないか?


はじめに クーポンに溢れる世の中

世の中に、クーポン券が溢れている。

これほどまでにクーポンが溢れた時代はあっただろうか。クーポンという名前がいい。なんか可愛い。ちょっと使いたくなる。

クーポンはいい。ちょっとしたサービスを得られる。ちょっとしたお得を体感できる。何か物を買う際の心理的障壁を下げる仕組みがある。

ところがだ。最近のクーポンはなっとらんのではないか!(いきなりの老害ムーブ)

クーポン、むしろ損しません?

最近のクーポンは、なんかこう、ダメになってないだろうか。

あまりにも、購入に対してのサービスが低すぎないだろうか。というか、ありとあらゆるものにちょっとしたクーポンが発生しており、それがほとんど意味のないクーポンだったり、あるいは十分な購買をしないと権利をもらえなかったりするケースが多すぎる。

元来クーポンは、あまねく衆生にちょっとしたサービスを与える物ではなかっただろうか。

いつの間にか世の中にクーポンが溢れ、そのクーポンは何らかの買い物やLineやメーリス登録、SNSでのシェアなど私たちの持ち出しを要求するものになっていやしないだろうか?

買い物して初めてもらえるクーポンなんて、冷静に考えて金銭的には損しとるじゃないか。

見返りを求めるクーポンと掛け値なしのクーポン

私は、クーポンという言葉を二つに分けるべきと思っている。

ひとつは、買い物をしたりウェブの何かに登録したりSNSでシェアするような要件を我々が満たして初めてお得になるクーポン。

もう一つは、何も私たちがしないでもお得になるクーポン。

これらは厳然に分けられるべきと思う。クーポンという一単語でまとめられているから、言語論的転回の理論からしてひとまとまりの世界と捉えられがちだが、これらは意味が本来異なるものだと思う。

一つ目を仮にザコクーポンと呼ぼう。我々に何らかのコストを迫るからな。

二つ目を仮にリュシータ・トエル・ウル・クーポンと呼ぼう。ウルはラピュタ語で王。まことのクーポンの王という意味だ。

ザコクーポンリュシータ・トエル・ウル・クーポンはその性質には天と地ほどの差がある。

私は日常生活のなかでリュシータ・トエル・ウル・クーポンだけをもらうようにしている。

というか、日常生活にザコクーポンが多すぎる。最近のお店はすぐLineに登録させようとする!!

おわりに

北風と太陽みたいな話だ。私たちの財布の紐という外套を、北風で吹き飛ばそうとするのか、太陽で脱がせようとするのか。クーポンという同じ言葉にもかかわらず戦略がまるで違う二つのものが現代社会に存在している。そして北風タイプが多すぎる、という話だ。

とはいえ、この少子高齢化の時代においてつねに太陽のように振る舞うことは困難を伴うのかもしれない。

私たちができることと言えば、本当に愛しているいくつかの商品のクーポンがザコクーポンタイプだったとしても、それでも愛して購入を続けることぐらいだろうか。そしてリュシータ・トエル・ウル・クーポンがあった場合に社会の暖かさを噛みしめることも大切だろう。

決してザコクーポンの波に飲まれてしまわぬよう、今後も現代社会を生き延びよう。

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