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「ハンドルの遊び」と「天網の粗さ」の良さ
社会のルールや仕組みはざっくりしてる方がいい感じになるのではないか、という内容を書いてみたいと思う。
自動車のハンドルには設計上「遊び」がある。ハンドルを少し動かしただけでは車輪は動かないようになっている。この方が安全で、急激な操作を緩衝する役割がある。プロのレーサー などは「遊び」が少ない方が動作を確実に伝えられるから、「遊び」が少ないマシンを採用することもあるという。
ここでは運転のプロかどうかという枠組みよりかは、多くの人にある技術を使わせるか否かという枠組みで考えた方がいいかもしれない。大衆に自動車を運転させる。その場合には、遊びがあった方がいい。
「天網恢恢(てんもうかいかい)疎そにして失わず」「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉がある。
《「老子」七三章から》天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A4%A9%E7%B6%B2%E6%81%A2%E6%81%A2%E7%96%8E%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E6%BC%8F%E3%82%89%E3%81%95%E3%81%9A/
悪事を絡めとる天の網は、一見すると粗いのだという。ところがそれであっても大衆のなかにいる悪人を捕り漏らすことはない。
「ハンドルの遊び」と「天網の粗さ」とには共通する要素があるように思う。
それは、「物事はある程度ざっくりしていた方がよく、物事を細かくしすぎると却ってことが悪く運ぶ可能性が出てくる」ということだ。
よくSNSで、二次創作をしていいのか公式に問い合わせてしまうことが問題になることがある。ここでの問題は二次創作の是非の議論そのものから遊離する。すなわち、グレーである事柄を公式に白黒ハッキリ表明させてしまうところにある。
世の中、白黒ハッキリさせない方がいいことがある。
ところが現代社会はとにかく法律やルールが細かくなりがちだ。
ところが、法律やルールを細かく細かくしていっても、絶対に抜け穴みたいなものはできてしまう。というか働いていて思うのだが、ルールを細かくすればするほどルールの穴は大きくなる雰囲気すらある。そしてルールを細かくすればするほどそのルールの参照に時間がかかり、仕事の進みが遅くなってしまう。
私たちの生きている現代日本社会はとにかく安定していて成熟した社会を実現している。ところがそのために、とてもルールや仕組みが細かくなっているように感じる。みんな良かれと思って細かくしていると思うのだが、どんどんどんどん細かくなり続けている。ところがさっきも書いた通り細かくしても漏れや例外は生じるし、細かくするが故にそれは発生しうる。
私たちは、「ハンドルの遊び」や「天網恢恢疎にして漏らさず」の持つニュアンスを社会に活かすべきではないだろうか。
ざっくりな事柄を尊び、ざっくりならではの懐の深さを生かした仕組みやルールを社会に組み込んでやった方がいいのではないかと思っている。
だから大きな法律とかがざっくり物事を定めているのは個人的にはとても好ましく思う。あと、企業のガイドラインなどで「個別の事象にはお答えできません」みたいに述べた上でルールを設定しているものもかなり好きだ。
日本は人口減の時代を迎えた。細かさだけに美徳を求めず、社会に「遊び」や「漏らさない粗い網をかける」ことが重要と思っている。