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テレビなどの罰ゲームとしての足つぼマッサージって、おかしくないですか?

今日言いたいことはシンプルで、足つぼマッサージがあまりにも罰ゲームで使われすぎていないか? ということだ。




単純に罰ゲームで行われることもあるし、足つぼマッサージをされながら台本を読むとか、何かをするとか、痛みに耐えながらのリアクションを楽しむことも多い。

単純に、これいいの? と思うわけだ。

そもそも足つぼマッサージというものは健康のために行うもので、痛さのリアクションを撮るものではない。

時々「健康になるために」と留保をつけて罰ゲームで足つぼマッサージをすることがあるけれども、昨今はこうした留保は省略されがちで、ただ痛みとそのリアクションを抽出する手段に成り果ててしまっている。

冷静に考えてこれはおかしいのではないかということだ。ただ痛みを与えるためだけに、足つぼマッサージという比較的独立した、別ジャンルの事柄を使役している。

痛いリアクションを撮るために、例えばタイキックだとかムチで打擲するとかもある。こちらはより痛さへの引き金として具体的だ。痛いリアクションを取らせること自体への是非も考えねばならいが、これらの打撃は構造がシンプルだ。ところが、足つぼマッサージによる罰ゲームはより別ジャンルを痛みの引き金として利用している。これが間違っているのではないかというのがこのnoteの本旨だ。

それに足つぼマッサージは常に痛いわけではないだろう。いろんな流派が多分あって、その全てが激痛の施術だけで満たされるものではないだろう。そうした意味においても、罰ゲームで用いられる足つぼマッサージはその構造的におしなべて痛みを伴うので、おかしいのではないかと思っている。

テレビなどの罰ゲーム的足つぼマッサージのせいで、市井でまじめにやってる足つぼマッサージ師が割りを食っていないか、勝手ながら心配もしている。




テレビなど各種の動画システムは、私たちに圧倒的なイメージを形成させる。動画ってのはとっても情報量を持っているから、私たちはそれを浴びているうちにその内容を当たり前のものとして受け止めてしまう。

私は足つぼマッサージが罰ゲーム的に用いられる(痛みへのリアクションのために用いられる)のは、方法としてちょっとどうなのかな? と思っている。

もしかしたら他にも、当たり前になってしまっているけど冷静に考えると「あれ?」と思う動画的作法や動画的ノリがあるかもしれない。

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