『妄想』と『予測』は全然違うぞ
未来がどうなっていくかを考えるにおいて、過去の歴史を知れば知るほど比例して未来のことを考えられる距離が伸びます。
これは唯一未来を『予測』できる方法と言っても良いのではないでしょうか?
よく風刺画で読んだ本の量によって見える世界が違っているというのを見かけます。まあ本だけ読んでいてもダメなんである程度読んだらその知識をもとに自分でやってみるというのが一番効果的なんじゃあないかなと思います。
私は本を読むのが好きなので、あの風刺画が言いたいことは実際にそうだと思っていまして
年齢が低くても高くても、自分以外の人が書いた意見をたくさん取り入れて、自分の中に落とし込ませる経験の多い人がやはり芯のある内容を持っていると感じます。
それでいうと『妄想』は思考の癖みたいなもんで
『ネガティブに考えてしまう』とか
『変に考えすぎてしまう』とか
そんな感じかなと思ってます笑
例えば
『将来お金持ちになりたいな〜』みたいなこととか『あの人悪い人かも…』みたいなこととか、特に根拠のない考えは『妄想』ですね。(時に根拠のない自信が大事になることもありますし、疑うことは大事ですけどね)
もしもそれが『予測』であれば、少しでも自分のすべきことに対して動き出しているはずなんで、ずっと考えてしまうということは『次の一手が見えてない』ということなんですわな。それは『妄想』です。
これを履き違えるといくら将来の設計をしたとしてもあまり意味はないんですな。
たまに『未来はこうなっていると思うんですよ!』みたいに話してくれる人がちらほらいるんですが、せいぜい自分の生きてきた年数のことくらいしか把握してないので聞いていても『ん?』となること多いんですよね。
妄想は思い込みからくるので、その人の『常識だと思っていること』の範疇からは成長できないんですよね。
じゃあ『空想』はどうなんだと言いますと、こちらは完全に現実世界ではありそうにないことを考えることです。
なので『現実ではないけどこうなってたら面白いな』みたいな思考になるので創作活動や現実逃避をして精神の休憩をするには良いのではと思います。
『予測』ができるとインプットとアウトプットを自走して行えるようになり、しっかりと芯を持った意見が言えるように発達していくのですが
『妄想』の場合インプットやアウトププットがなかったり偏ったりして、だんだん誤った思い込みになっていく可能性があるのでご注意。
そう言った意味では本を読むというのはやはり一番簡単に自己投資できることなんじゃないかなと思います。