やや完璧主義の僕たちへ
自分の性格についてまた一つ確信したことがある。
ちょうどバイトで品出し兼前だしをしていた時だ。
実をいうと僕は2か月まえから近所のホームセンターでアルバイトをしていて品出しや前出しをメインにする仕事をしている。
前出しというのは商品棚の商品をお客様の目線から見えるように前に出して並べる作業のことだ。
この作業はたまに品出しの品がない時間帯にやるのだが、これをしている最中に確信した。
自分はやや完璧主義っぽいなと。
完全なる完璧主義ではないと思う。
失敗してもまあしょうがないかと思えることもよくあるからだ。
しかしたまに物事を完璧に済まさなければならないという強迫観念が生まれる。
強迫観念とは少し言い過ぎたかもしれない。
まあとにかくそういう欲求や衝動に駆られる時がある。
前出しでは商品の位置が上下左右整っていないと落ち着かない。
自室の本棚の本が一部出っ張っていると不快だ。
読み終わっていない本が目の前にいくつかあるともどかしい。
部屋が雑然としていることはしょっちゅうあるくせに、時折完璧主義を発揮する。
これを完璧主義といってよいのか疑問だが。
凝り性というべきかもしれない。
とにかく完璧主義ぽい行動をとってしまう時が度々ある。
完璧主義を発揮している時に思うのだが、この特性は大方の状況において足を引っ張る。
もちろんお金を扱う仕事だったり、プログラムを構築したりするよな間違いが許されない緻密な仕事では重宝するだろう。
だが我々が過ごす日常生活にこれほど緻密な作業が溢れているとは言い難い。
なぜなら時間というものが有限であるからだ。
むしろ効率を求めて、短い時間である程度の完成度が求められる場合が多い。
バイトでも勉強でもそうだ。
仕事量が多ければ一つの作業に割く時間は必然的に短くなる。
しらみつぶしに用語や英単語を覚えていると試験までに間に合わない。
だから緻密な作業が必要とされる状況下でしかこの性格を有効活用することはできない。
その作業が仕事にかなり求められるのであれば完璧主義という特性を遺憾なく発揮できる。
しかし社会においてその特性を使える場面が限られているのだから完璧主義と非完璧主義への切り替えが重要だということだ。
やや完璧主義の僕たちはその切り替えスイッチを明確に認識している。
だが性格の中心を完璧主義という特性が占める人はどうしたらいいのか。
或る程度の完成度で諦められる特性をもつべきか。
それを言うは易く行うは難しなのは重々承知だ。
ただ完璧主義だけの人生では社会のつらさを味わう局面に常人と比べると高頻度で直面してしまうのではないかと思う。
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