家族の絆とその分断について
これは2021年に書いた文章です。
僕の家族に関しては、
数年前に僕のひいおばあちゃんから、
僕のことをずっと見守っているよ、
というメッセージが来て、
僕は僕なりにそれに答え、
先日ついにそのひいおばあちゃんの、
墓参りをすることができたのですが、
なんでこんなに時間がかかったかというと、
僕の母がキリスト教徒だったことと、
無関係ではないというか、
大いに関係があると思っています。
母がキリスト教徒なので、
例えば葬式とか墓参りとかの、
仏教色の強い催しに関しては、
僕はずっと意図的に遠ざけられていましたし、
僕もそれを現代的で合理的な、
スマートな生き方だとずっと信じていました。
別に仏教や神道がとても大事だとかは、
今でも思っていませんが、
日本人の大半は、
仏教とか神道に
かなり従って生きてきているので、
僕たちのご先祖さまたちの大半は、
仏教とか神道に、悪く言えば、
「支配」されているわけです。
そこにキリスト教とか、
カルトの新興宗教とかが、
侵入してきて、僕たちと、
ご先祖さまたちの
絆をなんとか分断しようと、
画策しているのだと思います。
そのことに気付けただけでも、
今回大阪と金沢にちかみつさんのイベント参加や、
墓参りをしに行った、
この弾丸スピリチュアル旅行の成果は、
充分あったと思っています。
ここからは僕の父方のご先祖さまの話、
こちらもキリスト教によって、
多大な被害を被っているんです。
今回、約40年振りくらいに金沢の母の実家の、
越村家のお墓に参ることができた僕だが、
このお墓にはみさをばあちゃんが元気な頃に
一度だけ行ったっきりだった。
なぜそんなことになったのかというと、
僕は生まれてから5歳くらいまでは
金沢で過ごしていたのだが、
その後は父親の転勤で日本中を転々とし、
現在は流れ流れて熊本で暮らしているからである。
ちなみに金沢以降の引っ越し遍歴は、
まず、東京都杉並区に4年間、
それから島根県松江市に4年間、
それから福岡県春日市に10年間、
ここまでは家族と一緒だった。
それから就職して一人で暮らすようになり、
東京都江東区に5年間、
そして福岡に戻って、福岡市で15年間、
仕事で愛媛県松山市に引っ越して2年間、
そしてまた福岡市に戻って、
途中北九州芦屋町を挟んで5年間、
それから熊本県熊本市に引っ越して約6年間、
合計して今年(2021年)で55歳になる。
つい昨年くらいまでは
母は意識もしっかりしており、その頃までは、
母はゴリゴリのキリスト教徒だった。
しかし数年前からは肉体も精神も徐々に衰え始め、
2021年の2月からは老人ホームのような
施設のお世話になることになった。
ホームに入所する時に、父から、
「聖書とか讃美歌の本なんかは持って行くのか?」と聞かれ、
「ああ、あれはもういい」と、
あの母が遂に信仰を手放したのである。
本当に長かった、僕が生まれる前から70年以上、
母はキリスト教徒だったのだ。
その間に色々あって、
父の両親をうちに引き取ることになり、
父方の祖父母は2人とも、
僕の福岡の実家にいる時に亡くなっている。
その時も母は自分の通っている教会で葬式をあげ、
祖父母の遺骨は今も教会の共同墓地に安置されている。
ずっと鹿児島の片田舎で、
頑迷に仏教を信じて生きて来た祖父母が、
突然異教徒の亡霊たちに囲まれて、
どんなに不自由で、
肩身の狭い思いをしていることか、
強制収容所に収容されているようなものなのだろうか?
生まれてからずっと、
キリスト教に間接的に支配されてきた僕も、
ついにある程度の精神の自由を得て、
やっと数日前に金沢の実家の墓所の墓参りに行くことができた。
長かったし、これかもおそらく長くかかるのであろう。
世界から宗教というものが根絶し、
無知蒙昧な人間どもが宇宙の真理に触れるまでには。
このあと母は亡くなり、鹿児島の父方のお墓にも初めて参り、
祖父母の遺骨はキリスト教の共同墓地から回収し、
現在鹿児島のお寺の納骨堂を申し込んでいるところである。
母の遺骨も同じキリスト教のお墓に入っているが、
こちらも回収する交渉中である。
しかし鹿児島のお墓に入れるか、
金沢のお墓に入れるかは決まっていない。