32-何かが聞こえた
消しゴム版画家でコラムニストのナンシー関さんの文章が好きだった。とは言っても、図書館でナンシーさんの単行本を偶然見かけた時に借りて読んだり、銀行の待ち時間に、そこに置いてある雑誌にナンシーさんのコラムが載っていたら読むという程度で、それほど熱心な読者というわけではなかった。
ところがある日、古本屋でナンシーさんの本を見かけ、一度図書館で借りて読んだことのある本だったのにもかかわらず、無性に欲しくなった。それを買って帰り、その日のうちに読んだ。その後、古本屋巡りをして夢中でナンシーさんの本を探すようになった。そして、一ヵ月くらいの間に20册近く買った。まるで何かに取り憑かれたかのように。
それらを全て読み、今度は最新のコラムが読んでみたくなって、ナンシーさんが連載していた雑誌を立ち読みしてみたが、載っていない。おかしいなと思い、何誌か見てみたのだが、どこにも載っていない。いやな予感がしてインターネットで調べたら、ナンシーさんは一ヵ月程前に急死していた。それは、ちょうど僕がナンシーさんの本を買い始めた頃だった。見えない世界で何かの交信があったかのようなタイミングの出来事であった。
その後、古本屋になかった本を書店で買い、書店にもなかった本はインターネットで注文して買って、その時点で手に入るナンシーさんの本は全て手に入れた。その間に未刊行だったコラムも続々単行本化され、それらもほとんど買った。このマイナンシーブームは2年ほど続いた。
ナンシーさんはこのようなオカルト的な話はあまりお好きではなかったようだが、この一連の出来事は僕がこの文章を書くきっかけのひとつになっている。僕は、ナンシーさんの視点の鋭さに感服しており、ナンシーさんがテレビ番組について語る時のような明晰さをもって「見えない世界」について語りたいと思っているのだ。