盆地について
今、押見修造の「血の轍」というマンガを読んでいるところなのだが、「血の轍」は、毒親に関する物語だというネットの評価だ。
今のところのあらすじは、主人公の静一の母親が、
ピクニックで静一の従兄弟を崖からつき落とし、
静一はそのショックから失語症になり、
母親はついに逮捕されるという感じである。
物語の舞台は群馬県で、群馬県は押見修造の出身地だ。
押見修造の作風は元々屈折していて暗いが、
その作品の中でも群馬県のことは、あまり良く書かれていない。
押見修造の作品を読んでいても、
ああ、群馬って、盆地なんだな、と思うような描写が出て来る。
実は僕が今住んでいる熊本も盆地で、少し雰囲気が似ている。
盆地には周りの土地の澱が流れ込んで停滞し、
そこからは流れ出していかない、何かの溜り場のような雰囲気がある。
熊本の街は熊本城を中心に、熊本城はどこからでも見えるが、熊本城にはなかなかたどり着けないという、とても不便な地形になっている。
これは防犯上というか、戦略的にそうなっているのだが、
この地形に準拠して、この土地に住む人は、保守的で排他的な性格になっていく。しかもそのことを全く自覚していないのだ。
うちの奥さんは20代の頃、
このままこの街に住んでいると、駄目になってしまうと本能的に感じ、
強引に福岡に出てきたそうだ。
同様に僕は東京や福岡で、
そうやって熊本から出てきた人と出会っている。
僕と奥さんはこの状況のことを
「熊本には呪いがかかっている」と表現している。
少なくとも熊本城が建てられるより前から
その呪いはかかっていて、
熊本に住む人は知らず知らずのうちに
その呪いに呪縛されているようなのである。
うちの奥さんは独特の勘で
そのことに気付いたようなのだが、
それはこういうことがきっかけだ。
奥さんの高校時代からの友人が、熊本市東区の長嶺という所に住んでいる。
元々実家が長嶺にあるのだが、その友人も実家とは別に長嶺に部屋を借りて暮らしている。
その友人の旦那さんは、福岡に近い荒尾市で働いているのだが、
荒尾に通勤するなら熊本県内でも玉名市とか、
もうちょっと通勤に便利な場所に住んでも良さそうなのに、
なぜか友人は長嶺みたいないい所はないと根拠なく言い張って、
長嶺から離れようとしないそうなのだ。
僕も長嶺という場所は知っているが、特に何もない、そんなに魅力的でもない場所だ。
うちの奥さんはその友人を見て、「何かの呪いにかかっている」と思ったのだそうだ。
熊本にかかっている呪いは
「とにかく不便で発展しないようにする呪い」なのだそうだ。
こう言うとなんか熊本の悪口を言っているだけのように聞こえるが、
実は僕も少しそれを感じるのだ。