熊本地震の思い出
2017年にはゴミ収集の会社で働いていた。その時の日記。
今日、あるお宅の片付けに行きました。
熊本地震で被災されて、
半壊の家に一年近く住み続け、
こんど解体が始まるので、
今住んでいる自宅から、
同じ敷地内の納屋に一時引っ越すのだそうです。
その家に住んでいるのは、
95歳のおじいさん。
大正14年の生まれらしく、
どうも一人で暮らしておられる御様子。
意識はしっかりしていて、
耳もちゃんと聞こえ、
会話の受け答えもちゃんとしています。
戦争の時は二年間台湾に行っていた。
その頃の戦友はみんな亡くなっている。
家はずっと農業をしていた。
米を作っていた。
今はその土地を企業などに貸していて、
収入は全て家賃収入だ。
戦争も、昭和28年の、熊本市の白川の大水害も、
熊本地震も全て経験した。
と、僕たちが作業をしている間、
ずっとそこに立ち会ってくれて、
合い間にこのような話をしてくださった。
納屋に引っ越すために、
自宅から持ち出した荷物の中に、
立派なお重のセットがあった。
しかも2セット。
ひとつは昭和になってから作られたもの、
もうひとつは100年以上前から、
その家にあったものだそうである。
地震がきっかけで、
何年振りかで開けたんじゃないですか?
と聞くと「ほんなこつよ」(本当にそうだね)と、
しみじみと答えてくださった。
かつてはこのお重に弁当を詰めて、
家族で花見に行ったこともあったであろう。
その時もお重のフタに
桜の花びらが散っていたのであろう。
あれから4年、お元気ならば99歳で、コロナ騒動も経験したと話していらっしゃることだろう。