死ななかった赤ちゃん
これは5年前、2017年にFacebookに書いた記事
ネットの記事で
あるお医者さんが書いたものがあって、
それが考えさせられたので
要約して転載します。
僕が少し言葉を足したりしています。
関東地方の田舎で双子の赤ちゃんが生まれました。
第1子は死産でした。
第2子は生きて生まれましたが、
腹壁破裂という先天性の奇形がありました。
その赤ちゃんの手術に成功しましたが、
赤ちゃんは自分の力で呼吸することができません。
私たちは赤ちゃんを人工呼吸器の付いた状態で
病室に連れて帰りました。
家族控室には、
赤ちゃんの父親と両家の祖父母が集まっていました。
私たちは赤ちゃんの様子を口頭で伝え、
それから面会してもらうことにしました。
ただ、ちょっと心配がありました。
赤ちゃんの奇形はお腹だけではなかったのです。
両手両足の指が6本ずつあったのです。
いえ、でもこうした奇形は
形成外科の先生に手術してもらえばきれいになります。
「命には関係ありません」と家族に念を押しました。
家族に病室へ入ってもらいました。
すると誰も赤ちゃんの顔やお腹を見ません。
両手両足を入念に見ています。
深夜の病棟に小さな悲鳴のような声があがります。
病室は騒然となり、
やがて誰もが黙りこくってしまいました。
手術から2日たった日の午後、
父親が小児外科の外来診察室に姿を現しました。
教授の診療が終わるのを待っていたのです。
父親は頭を深々と下げて、
赤ちゃんを今すぐ人工呼吸器からはずして
自宅に連れて帰りたいと言います。
教授は目を丸くして、
「今、呼吸器から外したら赤ちゃんの命はない」
と大きな声を上げました。父親の答えはこうでした。
「赤ん坊を、上の子と同じ穴の中に埋めてやりたいんです」
教授と父親のやりとりをそばで見ていた私は
びっくり仰天しました。
そして父親を廊下の隅へ連れ出して、
赤ちゃんの命は赤ちゃんのものであり、
親が勝手なことをしてはいけないと懸命に説得しました。
父親は、「先生には分からないよ。
田舎でこういう子を育てるのが、
どんなに大変なことなのか」と悲しそうにうなだれて、
廊下を去って行きました。
私は、母親が赤ちゃんに初めて面会する時までに
何としても赤ちゃんの状態を良くしようと決意しました。
連日病棟に泊まり込んで徹夜の術後管理を続け、
術後6日目に呼吸器を外すことができました。
そして7日目に母親が病棟にやって来ました。
赤ちゃん用のベッドの上で、
手足をバタバタさせている我が子を見て、
母親は顔を紅潮させました。
私は母親に赤ちゃんを抱っこさせました。
まだ酸素が必要だったので、
私は酸素チューブを赤ちゃんの口元にあてがいました。
涙が一滴、赤ちゃんの頬に落ちました。
これが転機になりました。
家族は一人また一人と赤ちゃんを受け入れていきました。
もちろん父親もです。
私は障害を持って生まれた赤ちゃんを受け入れるのは、
単純なことではないと思い知らされました。
僕は今熊本で暮らしている。
熊本の人の中にも多分、
「田舎でこういう子を育てるのが、
どんなに大変なことなのか」
という判断をして、赤ちゃんを殺しかねない人が
多くいるように感じられる。
それが僕の勝手な思い込みで
あってくれたらいいと思っている。