All We Need is Love
かつて「鍵泥棒のメソッド」という映画の
DVDを見た感想を書いていたのだが、
それはこんな感じの文章だった。
「鍵泥棒のメソッド」を借りてみた。
それで、借りてから気づいたのだが、
この映画の脚本と監督は内田けんじだった。
内田けんじといえば、数年前に、
「運命じゃない人」という作品を見て、
「面白い映画だなあ」と感心した監督だった。
なんかアメリカの映画学校を出たような経歴の人で、
練りに練ったエンタテインメント性の高い脚本を作る人である。
その脚本というのは、構成が、
ガイ・リッチーとかタランティーノの映画みたいな雰囲気で、
3人くらいの登場人物のエピソードが、
複雑に交錯して、どこかの接点でくっついたり、
また離れたりしながら、だんだん絡み合って転がり始め、
最終的に一点に収束して、映画がクライマックスを迎える、
という感じになっている。
その物語の設定と描写のしかたが洒落ていて、
ガイ・リッチーの
「ロックストック~」や「スナッチ」、
そしてタランティーノの
「トゥルー・ロマンス」や「パルプフィクション」
のようなジャンルの映画の匂いがするのである。
そういう映画を、日本風に、
泥臭くしたような仕上がりになっている。
しかし、確かに面白いのだが、
ただ面白いだけで、見た後には何も残らない。
別にそういうのが悪いというのではないが、
僕はもう少し、余韻の残るような映画が好きだ。
三谷幸喜や周防正行や矢口史靖なんかの映画もそうで、
とてもよく出来ていて面白いのだが、何かが足りない。
コクや旨味の足りない料理のようだ。
あまりにもべったりと心にこびりつかれても重いのだが、
「2001年~」に出てくるような宇宙食を食べさせられて、
これはカロリーや栄養素もばっちり配合されていますから、
と説明されても、
もう少し目でも食感でも楽しみたいんですけど、
という気持ちにもなるではないか。
アンドレ・バザンだったか、
アレクサンドル・アストリュックだったか、
ロベール・ブレッソンだったか、
元は誰の言葉かはっきりとは知らないが、
「映画は二度死ぬ」とはよく言ったもので、
これは、最初に頭の中で生まれた映画が、
まず脚本にする時に原稿用紙の上で一度死に、
そして撮影する時にフィルムの上で二度めの死を迎える、
というような意味らしい。
しかしそれは、
そうやって撮影されたフィルムを、
切って、つないで、上映した時、
スクリーンの上で水中花のごとく、
ゆらゆらと再生するのが「映画」だ、
というのがオチの話ではなかったのだろうか?
それならば、「再生」するためには、
どこかの過程で、誰かが、
例えば頭の中で誕生した時や、
紙の上に書き留められた時や、
現場で撮影された時に、
脚本家か、監督か、役者か、
あるいはカメラマンか、スクリプターか、スタントマンか、
とにかくスタッフの誰かが、映画のどこかに、
言葉や、しぐさや、衣装や、髪型や、
照明の陰影や、録音するマイクの角度や、
その他、有形無形の、フィルムに記録されている、
意図的にせよ、意図的でなく結果として残されたものにせよ、
「何か」の中に「命」を吹き込んでいなければ、
元々「生きて」いたものでなければ、
そもそも「復活」しようもないではないか。
なんか蓮實重彦風の、
スノッブな文章になってしまいましたが、
まあこれは極論で、
「鍵泥棒のメソッド」にだって、
「生きて」いる部分はありましたよ。
「すてきな金縛り」だって、
「シコふんじゃった」だって、
「秘密の花園」だって、
本当に面白い、いい映画です。
ただ、僕にとっては「何か」が足りない。
ガラムマサラなのか、パクチーなのか、
追いがつおなのか、よくわかりませんが、
何かが一味足りないんです。
とても抽象的な言い方を許していただくなら、
僕が映画に求めているのは「命」です。
そしてその「命」というのは「愛」なんです。
そしてそれは「息づかい」です。
スクリーンに上映されている映画を見ている時、
背後に、カメラの横に立っている、
監督の息づかいが感じられる。
ファインダーを覗いているカメラマンの、
そのカメラのピントを合わせているアシスタントの、
ストップウォッチを握りしめているスクリプターの、
出番を待っている役者の、そしてその他大勢のスタッフの、
ただ一点を、固唾を飲んで見守っている息づかいが聞こえてくる、
ような気がする映画、それが「生きている映画」です。
誰かが誰かを愛しているさまが、
記録されているのが優れた映画です。
それで、話は「鍵泥棒のメソッド」で主演していた
堺雅人の奥さんの菅野美穂の話にスライドするのだが、
菅野美穂というのは、ただ立っていて、それが撮影されているだけで、
そこに「愛」が生まれてしまう、希有な存在なのである。
菅野がハイボールのCMで、
「ハイボールには唐揚げでしょう」と言えば、
「本当にそうですよね」と思ってしまいます。
それがCMのタレントが井川遥に変わって、
彼女から同じことを言われたって
「いえ、僕はお酒飲まないんです」としかならないではないですか?
チオビタドリンクのCMに出ていた菅野が「愛情一本」と言うのなら、
チオビタを飲まない限りは、
絶対に疲れなんてとれないと思っていました。
やっぱりコーヒーにはクリープだよねと思います。
そして化粧品のCMを見て、
えー、菅野って、小鼻の横が化粧乗りにくいんだ、
でも、そういうところがかわいいんだよなあ、
なんて思ってしまうのです。
僕はクソつまらないテレビドラマなんて見ませんが、
菅野が出ているドラマには、
きっと「愛」があったのだろうと思います。
だからその菅野美穂と一緒に暮らしている、
堺雅人の「半沢直樹」にだって、
どこか面白いところがあったのかもしれないし、
ソフトバンクの携帯を使ってみるのもいいかもしれない、
スカパーだってそれなりに楽しめるかもしれないぞ、
とも思ってしまっていたのです。
これが「愛」の波及効果です。
というわけで「鍵泥棒のメソッド」ですが、
結局いい映画でしたよ。
きっと菅野のおかげだと思います。
特に広末涼子が良かったです。
広末が演じる人物の造形が際立っていました。
中でも香川照之と待ち合わせて、
手を振るカットが良かったです。
と言っておきます。
最近「PERFECT DAYS」という映画を見ましたが、
この映画には愛があふれていました。