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時をかける少女
2015年の10月29日に
細田守監督の「時をかける少女」を見ていた。
すでに制作されてから10年近く経つ作品で、
何度もテレビで放送され、
見る機会は何回もあったのだが、
なんとなく見損ねていて、
沖縄で、平日の午後、
何もすることがないので、TSUTAYAで借りて見たのだ。
「時をかける少女」は、
僕にとっては特別な作品である。
原作の小説は僕が生まれた頃に連載されていた。
昭和40年の11月から41年の5月にかけてである。
僕は昭和41年(1966年)の1月生まれ。
そして1972年にNHKの「少年ドラマシリーズ」の、
第一弾として、「時をかける少女」が原作の、
「タイム・トラベラー」が放送されている。
この時僕は6歳で、この作品を見た記憶はない。
僕がはっきりと覚えている
「少年ドラマシリーズ」の作品は、
「夕ばえ作戦」というドラマだ。
こちらは1974年放送で、
その時僕は8歳なのだから、
ほんの2年の違いに過ぎないのだが、
この年齢の2歳差は本当に大きい。
そして、決定的に影響を受けたのが、
1975年に放送された「なぞの転校生」である。
同世代の人で、「なぞの転校生」に、
強いインパクトを受けている人は多い。
「夕ばえ作戦」の原作者は光瀬龍で、
「なぞの転校生」は眉村卓であった。
これらの作品は鶴書房から、
SFベストセラーズというシリーズで単行本化されており、
僕は自分で購入したり、図書館で借りたりして読んだ。
これが僕の「物語」に対する興味の始まりである。
同じ頃、手塚治虫のマンガを通じて、
視覚の伴う物語の世界に、
より強く影響を受けるようになる。
このように、僕の中では、
ある意味「神格化」されている物語群の中のひとつが
「時をかける少女」であり、
その後も何回もドラマ化されたり、
映画化されたりしているので、
その時々に監督やキャストも様々で、
その度に僕の聖域が侵犯されているようで、
なんとなく触れたくなかったのである。
それでも細田守作品だけは、
時代の流れから、避けて通ることはできず、
ついに先日「サマーウォーズ」を見て、
なんとなく好感を持ってはいたのだが、
この度「時かけ」を見るに至って、
すっかり心を奪われてしまったわけである。
色々な情報は、本編を見終わってから、
ネットで調べて知ったもので、
何も知らない状態で見て充分感動できたので、
その感動は本物だと思う。
まず感動があって、後付けで、
様々な情報が補足され、
その感動が定着されるのが本物の感動だと思う。
僕が得た後付けの情報としては、
まずこのストーリーが、
原作の主人公芳山和子の姪の物語として書かれた、
スピンオフ的なオリジナルストーリーであるということ、
そしてこのストーリーについて原作者の筒井康隆が、
「本当の意味での二代目」とコメントしているということ、
そして細田守が東映動画出身ということである。
細田守は1991年に現在の東映アニメーションの前身である、
東映動画にアニメーターとして入社している。
僕は1990年に、東映CMという、CM制作会社に、
プランナーとして入社しているのだが、
実は東映CMというのは、東映動画の中の、
CM制作部が独立して会社になった組織で、
同じ東映のグループ会社だったから、
研修の時には東映動画の見学にも行ったし、
撮影でよく使用していた、CMスタジオという、
大泉撮影所の中にある小さなスタジオも、
元は東映動画が所有していたスタジオである。
東映動画といえば
アニメをやりたかった手塚治虫が、
「西遊記」のスタッフとして、
多忙なスケジュールの合間に通ったことでも有名で、
多忙過ぎた手塚治虫の代わりに、
石森章太郎や月岡貞夫が派遣されたりもしていた。
ジブリの宮崎駿と高畑勲も東映動画出身である。
僕が東映動画に見学に行った時にも、
アニメーターの人がセルを描いていたが、
細田守はその次の年の入社なので、
そこにはいなかったことになる。
でも同じ時代に、すぐ近くの場所で、
働いていたことがあるという親近感が、
さらに「時をかける少女」を、
身近なものに感じさせてくれた。
狂乱のバブルの末期に、
あの、大泉の、時が止まったような、
カビの匂いがするような、薄暗い環境の中で、
シコシコとセル画を描いていたんだろうなと思うと、
なんとなく、親しく、懐かしい。
そんな個人的なノスタルジーもあり、
一気に細田守という人と、その作品が、
僕の要チェックリストに登ってきたので、
いすれ「おおかみこどものなんとか」も、
「ばけもののなんとか」も見ることになるかもしれない。
こうやって、今までは興味がなかった、
あるいは意図的に遠ざけていたものが、
自分のエリアに入ってきてくれるということは、
とてもうれしいことである。
何よりも退屈しなくて済むので。