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『エイリアン ロムルス』-全員死んでも構わない (第三批評 常森裕介)

「ハッピーエンドじゃなきゃヤダ!」第2回

いきなりネタバレになるが、『エイリアン ロムルス』は最後、主人公の少女一人だけが助かる。仲間は皆(広い意味で)エイリアンに殺される。最後に一人残るのは、ホラーというジャンルのお約束であり、本作は『ドント・ブリーズ』(2016年)のフェデ・アルバレスが監督を務めたため、既に多く指摘のあるとおり、無鉄砲な若者が次々殺されるホラー映画のお約束に沿って進む。

本作には「原点回帰」等、これまでのエイリアンシリーズ(4作+『プロメテウス』『~コヴェナント』)を踏襲した旨の評価が多いようであるが、違和感も残る。確かに、ホラーとしてみれば、乗組員が次々殺されて最後に主役級の登場人物が生き残るのが本シリーズの型ともいえる。この点に関してジェームズ・キャメロンの手による2作目の影響は大きく、特に本作にも様々な影響を及ぼしているように見られるし(例えば人間は生き残るとしてアンドロイドはどうなのかという点等)、変則的に見えるデイヴィッド・フィンチャーの3作目も、2作目との差異化という視点からみることができる。

だが、エイリアンシリーズの「原点」とは何か、それは大騒ぎの末に一人だけ生き残ることではない。エイリアンシリーズの原点とは、誰もいない宇宙船である。

本作の冒頭も浮遊する宇宙船から始まる。本作に限らず観客は、空っぽの宇宙船にエイリアンが潜んでいるのではないか、乗組員の死体が転がっているのではないかとワクワクするのだが、大事なのは宇宙船そのものである。

本作(あるいはSF映画)における宇宙船は、ホラー映画で廃屋から逃げ出す時に使うボロい車と同じではない。宇宙船そのものが、登場人物の一人なのである。だから、本当は人間の登場人物は全員死んでも構わないのである。なぜなら、宇宙船が飛び立ち、どこかに到達するかもしれないということそれ自体が物語であり、希望だからである。

これは、本作におけるアンドロイドの位置づけにも関わる。本作のアンドロイド(特に敵の方)は、造形含めて2作目へのオマージュだとみられるが、注目すべきは、宇宙船と一体になっている点である。エイリアンに切り裂かれて半身になっている点だけみると、2作目との関連にとどまるが、ここにいるのは宇宙船とアンドロイドではなく、宇宙船なのである。

本作が、エイリアンの原点をホラーとみなしたことは、名だたる監督が手掛けてきたシリーズに『ドント』の監督を据えたことに表れている。

エンタメ作品であるから、途中わちゃわちゃしても構わないのだが、最後は宇宙船だけが静かに航行している姿を眺めていたい。人間が全員死んで、エイリアンも見えなくなって、宇宙船が彼方に消えていく。それが本作のハッピーエンドである。

*画像は本作公式HP
映画『エイリアン:ロムルス』公式サイト|20世紀スタジオ公式 (20thcenturystudios.jp)より

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