星の歌
優里のベテルギウスの冒頭と最後をはじめて聞いたとき、狼にでも育てられた人間の歌かと思った。
言葉をそのまま解釈する、なんとも情緒のない人間だったことか。
星は君であり自分自身であるんだ。
昔から人は星を見ては、未来を占い、願いを託してきた。
そこにあるのは、未来も願いも、自分自身と傍らの誰かのこと。
そして、手が届かないなにかのこと。
10代の頃の想像力はどこに行ってしまったのか。
日々の生活で疲れた脳みそは短絡的で、大人になるのはつまらないことだ。
与謝野晶子の挽歌にこんなものがある。
冬の夜の星君なりき一つをば云ふにはあらずことごとく皆
歌の解釈をするにはその背景を知る必要があるが、彼女の背景をまるっと無視して、おのれの気持ちを乗せるとすればこうなる。
きみを思って夜空を見上げると、無数の星が瞬いている。
こんなにも思ってるのにいくら手を伸ばしても届かない。
なんとまぁ。他人の褌で相撲をとった上に、感傷に浸る浅ましさよ。
だけど許して欲しい。想像力がなく、短絡的でつまらない大人になってしまったわたしは、心をつたえる言葉を「大好き」しか知らないのだ。
星は今日も輝いている。
わたしは寒空の下、ただひたすらにきみを思う。
*今のこと