おばあちゃんに会いに行った
おばあちゃんに会いに行った。点滴が刺さらなくなった、刺さらなくなると早くて1週間でいってしまうと母から電話で言われた。そして驚いたことにもう点滴が刺さらなくなって1週間経ってるらしい。日帰りで来ないかと言われる。言うべきかどうか迷って、と。何に気を遣ったのか、それは母の優しさなんだけど、キレ散らかしそうになるのを堪える。簡単に日帰りとか言うなよ。もっと早く言え。当日に教え子と恩師にドタキャンをかまして、息子を保育園に送ったあと2歳と1歳の娘を連れて新幹線に乗る。熱海過ぎたあたりで、娘は、もう帰ろうようと言い出す。新大阪で、まだ新大阪かよ。心折れて、一泊させてくれと夫に頼む。出迎えに来てくれた母に、今日泊まる。日帰りは無理やわ。不貞腐れているような私に一瞬オドオドしたあと、母は結果はしゃいでて、怒りが引く。
おばあちゃんに会う。正直そんなに会いたかったわけではない。おばあちゃんは小1くらいから一緒に住み始めたけれど、特別な思い出はない。ターミネーター2を観て号泣していたら、ぴしゃりと「もう泣きな!人生にはもっと辛いことある!」と言われたり。おかあさんにちょっと意地悪言ってたり。病気のせいで、幻覚と幻聴があったから、時々怖いことも言ってた。正直、義務感で新幹線に乗った。
だけど私は間違っていた。おばあちゃんに会いに行ってよかった。行くべきだったのだ。おばあちゃんは、もうずっと意識がなかったのに、私の名前を呼ぶために、一生懸命、掠れた息を吐き出していた。私に言いたいことなんかなかったと思う。でもここに私がいるから、おばあちゃんは私の名前を、苦しそうに、もどかしそうに、なんとかして呼ぼうとした。私は、ベッドに横たわったままでいることの辛さを思った。手を、髪を、肩をさすった。もう随分対面で会っていなかった。老人ホームに会いに行ってもガラス越しだった。面会時間の15分、ひたすら体のどこかをさすって、ときどき、おばあちゃん、と声をかけた。おばあちゃんは、私の名前を、絞り出すように、呼んだ後は、眠るように、夢見るように、瞬きを繰り返していた。この人がいてくれたから、私はいまここにいるのに。言葉にはわさわざ、できないから、手をさする。
翌日特急くろしおに乗って帰る。私の20代前半までの人生はずっとこの阪和線沿いを行ったり来たりする人生だった。ずっとちょこまか、行ったり来たりしていた線路を、特急で、いろんな駅をスルーして進んでいく。走馬灯のよう。大阪は相変わらずなんかちょっと汚い。特に私の住んでいるあたりは、ザ・地方都市。ロードサイドにでっかい駐車場付きのマクドナルドとか牛丼屋とか携帯の大手キャリアの店が並んでいる。ふるさとはとおきにありておもうもの。離れて、帰ってきて初めて、良さに気づく。どうあってもここがわたしのふるさと。今朝、久しぶりに実家の窓から眺めた景色を思い出す。朝目を覚ますと部屋の中には金色の光と鳥の声が満ちていた。窓を開ければ木と土の匂い。
同じ車両の乗客の荷物掛けに、ビニール袋に入ったみかんがふたつだけ揺れている。あれは売り物でなくて、どこかのお店の人が、畑でとれたのをお土産に持たせてくれたものなのだ。
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