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「笑うマトリョーシカ」が描く民主主義(最終話を見て)

金曜10時のTBSドラマ「笑うマトリョーシカ」の最終話を見終えた。

謎解きはまさにマトリョーシカのようだった。
清家の裏側にいるハヌッセンは誰なのか。第一話からの大きな謎として存在しながら、候補に近づくたびにその人ではないと明かされていく。
高校、大学、議員人生、出会った人の言ったことを丸々吸収し、そうして出来上がったマトリョーシカの1番内側にいる清家一郎という人間はとても小さくて空虚なんだと知る。

清家一郎とは、「笑うマトリョーシカ」ではなく、何層にもいろいろな人に操られて自分を失い「笑うしかなくなったマトリョーシカ」なのではないか、とふと思った。

作中、何度も映り込んだ清家の部屋にあるマトリョーシカ。
それでもその中を取り出したのは、最終回の道上の前でのみだった。
清家にとってそれは心を許したということなのかもしれない。

清家が首相となり、憲法改正を宣言する会見で記者の道上が質問するシーンで話は終わる。
おそらく、道上だけが清家の深層に迫っている。
そんな彼女は、記者として時には政策に批判的な態度を示しながら闘うだろう。
そして清家もまた道上を排除するのではなく、政治家と記者としてこれからもバトルを続けていくはずだ。
その関係がある限り、民主主義は死なない。
そんなことを伝えようとしたラストシーンだったように思える。

謎解きメインのドラマのようで、実は民主主義をどう守るか、腐っても民主主義だ、というところがメインテーマだったのかもしれない。

P.S. : 道上の息子さんのユウキくん、道上の仕事に対して物分かり良すぎて「本当は甘えたいはずなのに何であんなに聞き分け良いんだろう?」とずっと疑問だった。
息子と遊びに行ったのに、息子そっちのけで取材してたこともあったし。
でも、もしかしたら「ママはこういう仕事をしていてとても頑張っているんだよ。忙しいけどユウキのことを1番に考えてくれてるんだよ」って伝えてくれる人が身近にいたからかもしれないね。
そして、たぶんそれは道上の別れた旦那だろう。

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