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「手紙というコミュニケーション」
個人的な話だが、ここのところ「文通」にハマっている。
順を追って説明しよう。
私が暮らす障害者向けシェアハウスでは、慢性的な人手不足解消の一環としてギグワーカーをはじめとする短期間の「介護バイト」を積極的に採用するようになった。
その結果として、初対面に近い不慣れな介護職員によるケアを受ける機会が増えている。
そこで、慣れない介護職員とも極力スムーズにコミュニケーションを取れるようにするため、短期間の介護職員向けに「トリセツ」代わりの手紙を配ることにした、というわけだ。
別段、シェアハウスのオーナーに相談したわけではなく、私自身の独断で始めた試みである。
手紙といっても障害の基本的な特徴や趣味、職種などを簡単にまとめているだけで、ほぼ箇条書きのような無機質な「トリセツ」だが、自己紹介としてはそれなりに好評のようだ。
特に、1月から入った看護師志望のスタッフからは思いがけず返事をもらうことができ、こちらもそれに合わせて手紙を返しているうちに何となく文通のようになっていった。
彼女が20代前半の童顔女子であるとか、看護師の卵らしく天使のように優しく食事介助をしてくれるとか、シンプルにかわいいとか、そうした細々としたことは抜きにしても(それならばなぜわざわざ書く?)、初対面に近い誰かと手紙のやり取りをするというのは純粋に楽しいし、心の張り合いになる。
文通はブログとは違うし、ましてやメールやLINEとは違う。
以前の記事でも書いたが、ケータイがまだなかった頃、私にとって「友人と深いコミュニケーションをとる手段」といえば、文通ぐらいしかなかった。
中学の頃は林間学校(なつかしい響きである)で知り合った他校の女子生徒と文通をしていたし、高校になるといわゆる英語のALTの先生になぜか週に1回、英文で手紙を渡していた。
英語の先生はともかく、林間学校で知り合っただけの女子生徒がよく住所を教えてくれたなと思う。
文通のためとはいえ、今の時代では到底考えられない。
どのような理由をつけて住所を聞き出したのか、今となっては私自身も覚えていないのだから。
過去の想い出はどうでもいい。
シェアハウスでの「文通コミュニケーション」は今後も、可能な限り続けていきたい。他のスタッフからも「手紙、嬉しかったよ」などと言われると素直に嬉しいし、手紙を書くモチベーションになる。
「トリセツ」も、年代に合わせて充実させていこう。