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「それは単なる公開処刑か、あるいは地獄絵図であった」
1/27(月)、フジテレビによる「2度目の」記者会見が行われた。
すでに多くの有識者が指摘している通り、あれはもはや記者会見ではなく、公開処刑にすぎなかった。
地獄絵図、といった方が正しいだろうか。
港浩一社長は大勢の記者を前にやつれ切り、時としてぶしつけな質問にじっと眉根を寄せ黙考する姿は悲壮感すら漂わせていた。
もちろん、中居正広をはじめとする一連の「コンプライアンス違反」は許されざる行為であり、時間をかけた検証が求められる「事件」である。
しかし、だからといって、弱り切った数人の「悪者」を標的に石を投げつづけることが本当に正しい「ジャーナリズム」なのだろうか。
数人の記者による怒号、罵声、そして、恫喝は明らかに度を越していた。
それはもはや、記者としてのあるべき姿ではない。
一部の記者たちの「民度の低さ」については、ジャーナリストの石戸諭(いしどさとる)氏もXで「ひどすぎる」と指摘している。
フジテレビの陰に隠れて、TBSラジオでも生島ヒロシ氏の番組降板が発表された。
フジテレビ事件の余波は今後、TBS、テレビ朝日、日本テレビと、民放各局にも波及していくだろう。
テレビ局全体の浄化が「きっかけはフジテレビ」なのだとしたら、何とも皮肉な顛末である。