「イチローという時代」
イチローがメジャーリーグで殿堂入りを果たした。
「アジア人初の栄誉」などというもっともらしい枕詞をつけなくても文句なしの快挙だし、素直に喜ばしい。
スポーツ全般に縁のない私だが、一応は「イチロー世代」の端くれである。
オリックスの入団会見はぼんやりながら記憶に残っているし、初代PS版「実況パワフルプロ野球」ではペナントレースで毎回オリックスを使い、イチローに意味もなく盗塁をさせては1人ではしゃいでいた。
引退会見をテレビで見て、不覚にもジーンとしてしまった1人である。
振り返ってみれば、父親は若い頃から松井びいきで、アンチ・イチローだった。
ある朝、高校までの送迎中に流れていたカーラジオでイチローの活躍を絶賛するニュースを聞いて、「どこがいいんだろうな、こんな奴の」と舌打ちまじりに言うほどの「イチロー嫌い」であった。
同意を求めるような物言いが私の胸をざわつかせた。
松井秀喜ももちろん素晴らしい選手だが、だからといってイチローを貶める意味がわからない。
私は私でますますイチローへの傾倒を強め、図書館にあるイチロー関連の本を手当たり次第に読みあさった。
とりわけ、400ページ超もあるロングインタビューはイチローのエッセンスがぎっしり詰まっている「ごちそう」で、当時から乱読のクセがついていた私にしてはめずらしく、1カ月ほどかけてじっくり読み込んだ。
大げさではなく、イチローの言葉、生き方を肌にしみこませる感覚だった。
アイドルにも一切興味のなかった私がイチローにここまで「埋没」したのは、父親へのささやかな反抗だったのかもしれない。
イチローについて語るつもりが、父親のことまで思い出してしまった。