『リチャード三世』 -食物連鎖のシェークスピア-

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冒頭のパーティの場面で登場人物の全てが揃っているけれど、ラストでは一人を除く全員が殺されてます。そのどろどろ凄惨劇の演出は、ルーマニアのシルヴィウ・プルカレーテ。一昨年、手兵ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場を率いて日本で上演した『ガリバー旅行記』(あれは面白かった!)で見せた「異化」の手法が、今回の舞台でも冴えわたってます。

生き残る主人公、希代の陰謀家・殺人者を演じる佐々木蔵之介のひょろっとしつつも骨太な肢体が、舞台でどんどん変容していきます。その過程がグロテスクでエロティックで⋯⋯。「あまりの醜さに犬が吠えかかる」主人公、というシェークスピアの設定を逆手にとって、プルカレーテは役者の肉体をいじり倒します。杖をついて脚をひきずっているかと思うと、『ノートルダムの鐘』のカジモドみたいに背中を曲げて這いつくばってる。場面が変われば、いきなり背筋を伸ばして優雅に歩き回っている。傑作なのは、ビニール袋の中に入って玉座に座る彼の顔が、声のない叫びを上げながら極限的にひん曲がっていく場面。フランシス・ベーコンの『インノケンティウス10世』の物真似で、権力者の中で軋む悲鳴を実体化しているんですね。色んな文化的コンテクストが主人公の肉体を横断する快感、とでも言いますか。主人公の複雑屈折した欲望を様々な視点から多層的に「読み直す」。そんな作業に駆り立てられるのがシェークスピアの戯曲だというのは、見ていてよく分かります。

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プルカレーテのマジカルな「変容」は肉体だけじゃありません。キャスターのついたテーブルが食卓になったり遺体の載るストレッチャーになったりしている。「食」と「死」が円環状に繋がる食物連鎖の掟が、実は人間の世界をも支配しているというわけなんですね。それに気づかせる仕掛けを、演劇っていうのは持ってるなあ、と実感します。

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二幕目には、世界は為政者と市民との関係によって成り立つ現代にタイムリープしていてあらら、と思うのもつかの間、結局この世界の原理は変わりようもなく、死者は相変わらず増産され続けていくんですね。シェークスピアの描くディストピアは、今、この時代に上演することで、ますますアクチュアルに浮上してくる。いや、刺激的な舞台でした!

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