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すべての行動に良し悪しはない

月30冊本を読むみよこです

放っておくと思考が
ゴリゴリに凝り固まりそうなので
いろんなジャンルの本を読んでいます

普段は子育ての講座や
自己受容の講座を開講しています

あの人は優しいって何を根拠に

よく言われる
『あの人はとても優しい人だよね』
とか
『彼は誠実な人なのよ』
など、人に対するジャッジ


それは何を根拠に言っているんだろう?

表面の行動だけを見て
その裏の真意を知らなければ
それはただ氷山の一角

氷山の一角だけで
その人を判断できるのであれば
世の中に
詐欺というものは起きないだろう

もっと言えば
『○○をしてくれたから誠実』
とか
『あの時○○だったから優しい』
とある1つの行動に対して
ジャッジするのはもっと危険だと思う

ヒーローと承認欲求


もしヒーローが
承認欲求が強かったとしたら


悪者を倒すことは
人のためでももちろんあるんだけれど
人からの称賛を求めて
自分のためにも戦う

そして
悪者が存在することを望む


悪者がいなければ
商売あがったりだからねー

で、
平和になってもらっちゃ
自分の活躍の場がなくなっちゃうから
(承認欲求が満たされないから)
 
平和のために戦っているヒーローが
1番平和を望んでいなかったりする

ということが考えられる
(仮説)

平和を望んでいないヒーローと
平和を望んでいる市民

どちらが正義なのか?

行動だけでどちらがいいなど
判断のしようが無い

これ 机上の空論ではなくて
承認欲求のためにリーダーになる
という人はけっこういると思う

私も承認欲求が強かった時
リーダーになりたかった時期があるし
(自分のことかい!)


息子がやたらと
学級委員になりたいと言っていた時
承認欲求のために言っているな
とうすうす感じていた
(承認欲求がなくてもやりたがる人も
 いるのかもしれないけれど)


行動には良し悪しがない


人はいくらでも
自分をよく見せようとすることはできる

承認欲求が強ければ強いほど
人から好かれたい気持ちが強いほど
そう振る舞うことは簡単なこと

優しく振る舞っている人が
本当に優しいかはわからないし

誠実な対応をしている人が
本当に誠実かどうかはわからない

人のある行動を見て
ジャッジをするのは難しい



良し悪しで判断していると
『いい人だと思っていたのに…』
とか
『結婚してから豹変しちゃって』
とかが起きるわけで


詐欺とかにも騙される


優しさや誠実さが
計算によってされているとしたら
その行動は全く優しくもなく
誠実でもないと思う


優しく振る舞った行動が
無条件に優しい行動に認定されるのなら
詐欺師の優しい行動も
優しい行動と認定されるのだろうか?

そう考えてみると
 
一見優しくないけど
一見誠実そうには見えないけど
という不器用な人のほうが
よっぽど信頼できるのかもしれない


優しく振る舞う詐欺師と
無愛想な青年

どちらが優しいんだろう?

人間、演じようと思えば
どうにでも演じられる

人から認められたい!という
承認欲求が強い人ほど
自分を良く見せようとするから
ひょっとしたら
人からのウケはいいかもしれないけれど

それがその人のすべてではなく
良し悪しの判断基準にもならない

反対に言えば
一見悪そうな振る舞いをしている人が
本当に悪い人とも限らない

現に
グレてしまっている人が
実は優しい心の持ち主だということもある
(勇気がくじかれているだけ)

人を簡単にジャッジはできない


私は子どもの頃に
友だちが多いからって
信頼できるとは限らない!
と悟っていた変わった子だったので


人を表面だけで
ジャッジしないように生きてきた

あらためて思うのは


世の中に
特別に良い人も
特別に悪い人もいない


特別に良くなろうとする人と
特別に悪くなろうとする人と
そのままでいようとする人
がいるだけ



結局、みんな一緒なんだと思う


アドラーが言うには
『性格は自分で選んできていて
 いつからでも変えられる』

だから
絶対的に○○な人
なんていない

○○な人であることを
自分で選んでいるから
明日には○○ではない人になり得る


みんな変幻自在
決めつけはよくない


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