削るセンス
先日同僚とやり取りしていて
「意味を明確に伝えながら表現を短くするのって本当に難しいね」
という話になった。
親切心から内容を正確に伝えようとすればするほど文章ってどんどん長くなるし、その分リズムが損なわれ魅力も減ってしまうことが多い。
特に漫画翻訳で中心となる会話表現は、リズムよくスムーズであることが重要。
しかし英語には文字の種類がアルファベットしか無いため、日本語から英語に翻訳する時点で文字量が平均1.5倍になるとも言われている。
漢字で何となく雰囲気を伝えるような技も使えず、ロジカルな英語の言語傾向に寄せていくとどうしても長く説明的になりがち。
その上、縦書きの日本語に合わせて作られた縦長の吹き出しに対し、横書きの英語をあてがわなければならないため、文字量は極力少なくしたい。
そんな過酷な(苦笑)状況下で、翻訳者は情報を漏れなく伝えつつ、どこまで削るかという課題に常に向き合っている。
意地悪な私のような日本人から「ここもっと短くできない?」などと突っ込まれ、「うーむ...」と悩むこともしばしば。
全て盛り込もうとすると百科事典のようになるし、かと言って削りすぎると「主語は誰?」などとなりかねない。
そのため漫画の英訳では削るセンスがかなり重要だと言えるだろう。
ちょっと話はずれるけれど、翻訳界で有名な柴田元幸さんも「翻訳は語彙の豊かさが肝心などと言いますが、むしろ、似合わない言葉を取り除いていく作業」と言っていて、なるほどそうか〜と感じている日々です。
これは確か、文学作品の世界観やキャラクターに合わない言葉を削るという文脈の話だったけれど。
漫画翻訳でもこのキャラクターはこんな表現使わなさそう、などと言葉を削ったり変更したりする場面が多々あり、そこでも翻訳者のセンスが活きてくる。
またまた話は飛ぶけれど、先日「自分に似合う洋服をよく分かってるんですね」とお褒め頂いた際に、「似合う洋服を分かっているというか、似合わない洋服を分かっているだけなんですけど...」と思った。
似合わない洋服を削って削って削っていったら、自ずと似合う洋服が手元に残るのではないだろうか。
そう思うと、削るセンスはなんにでも重要だと言えるのかもしれない。