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クレドその後に。其ノ二【小原 聡真さん】
どこよりも学生インターンを熱く募集し、そして実際に学生が集まる会社。
それがクレドシップだ。
「志」「交差点」という言葉をよく耳にするものの、実際にはどんな歴史が紡がれてきたのかまだまだ謎の多い会社である。
志を持った学生がクレドシップという箱を通して成長し、そして卒業後どこへ進んでいくのか。
その模様を広報の学生インターン上野が「クレドその後に。」と題し、紐解いていく。
今回インタビューを受けていただいたのは、「Learning Linkage Project」というアウターンを行った、小原 聡真さん。就活が終わったあとにクレドとの関わりを深く持ち、現在は文部科学省で働き始めて7年目になる。
「Learning Linkage Progect」とは、「Table for Two が食の場をつなげ、広げていくように教育・学びの場をつなげ、広げていくスキームを作りたい。」という志を受け、新興国のマーケットリサーチ並びに事業計画書の立案を行ったアウターン。
板井さんとの出会い
国家公務員試験が終わり、官庁訪問への準備期間中に行われた勉強会。そこで出会ったのが、大河原誠也さん(クレドその後に。第一弾のインタビュイー)だった。
就職先も決まった頃、大河原さんに声をかけてもらい、アウターンの説明会に行ったのがクレドとの関わりの始まりだ。
「声がでっかいお兄さんいるな~と思ったのが板井さんだった笑
上手く言えないけど、当時は『この人はすごく子供で、すごく大人なんだ』って感じていた」
こんな大人と自分は出会いたかったのだと思うほど、印象的な出会いだった。
アウターンへの参加
アウターン先である株式会社セルムの松村さんとお話しすることで、挑戦したい気持ちが強くなり、アウターンへの参加を決めた。
「一つの学びの場からたくさんの学びの場につなげていくことによって、世界中に学びの場が展開できないかという構想。
どういう国がアプローチ対象になるのかと、アプローチの方法が最初の中間評価で問われた。最終評価ではそれに加え、どういうビジネスモデルで学びの場を生んでいくのかという提案をした」
就活も終わり、周りが旅行や遊びに盛り上がる中、辛さを感じることもあった。しかしそれは刹那的なものだ。
「全体としたらめちゃくちゃ楽しくてね。
松村さんと議論したり、板井さんと大河原さんに壁打ちしてもらって思考を深めたり。
自分が何をやりたいのか、どういう世界を実現したいのか。松村さんが実現したい世界と、自分が実現したい世界の掛け算の中に何があるのかをとことん突き詰めていった」
中間評価は厳しく、合格しなければそこで終了のアウターンで、ギリギリの合格だった。
「『これはオマケで付けてる点数で、ここからの伸びに期待です』っていうコメントをいただいて。やばい、これはそんじょそこらのインターンじゃないんだなって思い知らされました」
中間評価も本気で取り組んでいたつもりだった。
しかしアウトプットに上手く繋げることは想像以上に難しい。
そこからはとにかく情報量でカバーできるよう、必死になった。
「やっぱり経営者と一緒に話すっていうこと自体にすごく価値があった。その時に松村さんや板井さんに言われた言葉は未だに覚えていて、仕事の中で思い出したりもする。『国語で考えて算数で表現する』とか、『とにかくN=3を取ること』とか。
今も板井さんはよく言うかもしれないですけど、『脳みそに汗をかく』こと。それをあんまりやってこなかったんだなって、アウターンをする中で気づきました」
頭の使い方を知れた経験は、文部科学省に入省してからも大きな財産となった。
文部科学省を目指した理由
幼少期から、ニュースを見て政治や行政に興味を抱いていた。
「子供の時、たまにいるじゃないですか。正義感だけが強くて不器用な子。あれが私なんですよ」
自分の正義感が役立つのではと思い、弁護士や検察官を目指した。
そのためにも大学では法学部を選んだ。
大学生になってからは週5、6で塾講師のアルバイトをする日々が続いた。
その塾がある地域では、生徒たちが思い通りに勉強できない環境であることも珍しくなかった。
「学校も荒れているところが多い地域だったんですね。
そういうのが辛いっていう相談を子供たちから受けることもありました」
子供たちから状況を聞く限り、学校の勉強だけでは有名校・難関校への合格は相当困難だろうと感じた。
塾講師としては、だからこそやりがいがあるのかもしれない。
「でも、一人間としては『それでいいの?』って思ったんです」
子供が、生まれ育った環境など、本人の能力以外の要素で将来を左右されてしまっている現実。
教育現場のみに課題があるのではなく、福祉的な観点も含め、社会システムそのものに課題があるのではないかと疑問を抱いた。
「その時に自分の問題意識をクリアしていくためには、法律を運用していく弁護士よりも制度自体をつくり上げていったり、その社会を構築していける側に自分がなる必要があると思ったんですよね。
個人あるいは組織の可能性が最大限発揮されていないという状態に対して自分はアプローチしていきたいなと思って、国家公務員になることを決めました」
現在の志
念願の国家公務員として働く日々はとても充実している。
1、2年目では教育分野を担当、現場を十分に理解できていないと感じたため、3年目では北海道で1年間学校の先生として経験を積んだ。今年で入省し7年目を迎える。
「自分の課題感に合っている職業だなと、実際に働いてみても思います。
パブリック分野は、自分たちしかやる人がいないから、自分たちが動かないと解決できない。
そんな責任感と緊張感はありますが、やりがいもすごくあります」
そして、塾講師をしていたときに感じた、可能性を最大限発揮できる社会を構築したいという想いは今でも変わらない。
「大学生の時に持っていたイメージでは、たった一つのブレイクスルーがあれば色んなものを解決していけるって思っていた。
だけど、今はもうちょっと社会って複雑なんだなと、認識が変わった。
社会の複雑性にやっと自分の頭が追いついてきた。
経済格差や社会の分断っていうことだけじゃなくて、色んな人がそれぞれのバックグラウンドで、それぞれの思いで行動しているっていう意味で、社会はとても複雑性を帯びている。
そんな中で、個々の可能性がさらに発揮される社会をつくっていくためには、複雑な社会を複雑なまま理解して、部分最適を積み重ねていくことで全体最適をつくり上げるしかない、と最近は感じています」
根底の想いは同じでも、持っている言葉の定義や世界に対するイメージは、大学生の頃とは全くちがうものだ。自分をアップデートしながらも、今も変わらぬ志へと向かっている。
〈インタビュアー上野の感想〉
小原さんは私の大学の先輩にもあたり、勝手に親近感を抱きながらインタビューさせていただきました。
小原さんからインタビュー終了後、「話しながら松村さんに今会ったら何考えるかなとか、何言われるんだろうなとかも思うし、聞きたいこともすごいあります」という感想をいただき、どれだけアウターンが密度の濃いものだったのかが伝わってきました。
小原さんのお話を伺って、志を掲げ続けることの過酷さのようなものを私は感じました。
志は大きく掲げたくなりますし、それは大事なことだとも思っています。しかし、現実と向き合ったとき、自分が思い描いていたイメージとは異なることもあれば、自分の無力さを痛感することもあります。しかしそこで留まらず、志に辿り着くまでの小さなアクションをいかに積み重ねられるかが実現の鍵を握るのだと感じました。