古都への旅路
学生の頃、一度も京都へと行ったことがなかった。
地元では、中・高とも修学旅行で京都へ行くのが普通だったのに縁がなかった。
だからこれからも縁がないんだろうと思っていた。
そんな自分が京都へ行くことになるとは。
青天の霹靂である。
それまで自分はどこでも生きていけると思っていた。
苦手な場所などないと思っていた。
ただ、いざ行くと決まって思い出されたのは京都育ちの夫による出汁の押し売りだった。関西人と結婚してだし巻き卵を作るようになった今も、正直だし巻きは出汁(魚)のにおいが気になるし、白だしも匂いが苦手である(使うけど)。果たして出汁の氾濫する拠点で生きているんだろうか(大袈裟)。でもそう思った。
日本人なのに京都に惹かれるものが(食・建築・文化等)皆無なのは自分でも不思議で、もちろん人には共感されないしリアルで他言した事はなかった。ただみんなが発する京都好きでしょう?嫌いなわけないでしょう?という圧力にはいまだに小さく反抗心が湧いてしまう(苦笑)
そんな自分を情けなくも思う。
興味がない、から、これはしんどいかも、、と思ったのは初めて母と京都へ行った時だ。
清水寺へ赴いたとき、下をのぞいていた隣の観光客が落下した。
投身自殺だった。(安否は知らない)
あらかじめここで人生を終わりにすると決めていたのだろう、彼女の行動には淀みがなかった。ふらふらと私の横まで歩いてきたと思ったら、そのままふわりと落ちていった。今でも夢を見ていたようだと思う。
そんな場面に出くわしたのは、単純に運が悪かったのだ。それは理解している。
ただ、それだけでも私と母が「ここには縁がないかも」と思うには十分な出来事だった。
しかしこれでは終わらなかった。
帰りのバスは混んでいた。運転手の横(運賃箱の横)に立っていた私は罵声で我に返る。ガタン、という音がして背中の乗車口が開いた。バスの運転手が左を走行するタクシーと走行しながら(!)喧嘩を始めたのだ。
大通りで私を挟んでやり取りする怒号の喧嘩はタクシーが左折するまで続いた。もし私がよろめきでもしたら、走行中のバスから転がり落ちていたであろう。
こともあろうか、これが翌日も行われた。
(この日は観光地の駐車場係と喧嘩してた)
「そりゃ本物の京都人やないなぁ」と夫は笑うがそういうことではないのである。
そもそも本物とか本物じゃないとかその選民思想はどこからくるのか、お前は本当に民主国家の人間なのかと説教したくなってしまうのである。
京都行きが決まったことにより今までしまっていた記憶と不信感が一気に噴出し取り乱しているわけだけれど、これは私の京都コンクエスト(克服)物語なのかな、と友人の助けもあり今は徐々に受け入れ始めている。
仕事はあるし現地のコミュニティに属すわけではないから、単純に都会の消費生活を楽しめたらいいかなと。
京都を好きな人は多いし、京都出身の方には不快な思いをさせてしまうので書くのを躊躇ったけど、数年後、帰るときに自分がどんな心境になっているのか興味が湧いて行く前の不安な気持ちを書き残してみました。無理に好きになる必要もないと思うけど苦手意識を持ったままなのももったいない。今の不信感を塗り替える新しい価値観に出会えたらいいな。にーちぇの京都コンクエスト、果たしてどうなるでしょうか…