アルムナイとして「母社」で話すということ
先だって、卒業した会社から「アルムナイとしてキャリアの講演をして欲しい」というお声がけをいただいた。
話をさせていただいた相手はミドル社員と各事業部門のHRBP的な立場の方々。社を卒業して何とか身を立てている立場として「40代半ばから50代後半にかけて考えていたこと」「こうしておけば良かったこと、こうしておいて良かったこと」「社を離れて思うこと」といったお題を頂戴した。
どの業界のどの企業でも、大きな環境変化を生き抜こうと必死であり、最も大きなインパクトを受けるのはミドル層だ。私の(母校ならぬ)母社も例外ではない。なので、勇気と元気を持ってもらいたい、という想いでストーリーを組み立ててお話しした。同時に、改めて自分のキャリアを振り返る良い機会になった。
まず、40代半ばから50代にかけて考えていたこと。私は40代半ばから初めての海外駐在(シンガポール)を経験した。現地の環境に慣れるのに苦労する一方、成長するアジアの現場での仕事は最高にエキサイティングだった。「キャリア」なんて、これっぽっちも考えていなかった、というのが正直なところだ。
日本に帰任したのは、2011年3月10日。東日本大震災の前日だ。日本が大きな転換期に立つと同時に私がいた会社も大きくグローバルに舵を切るタイミングだった。グローバル化する日本企業の最も大きな課題は、日本本社の社員のキャリアをどうグローバル仕様にするかだ。当時、本社の人事制度も職能給から職務(ジョブ型)給へ、役職定年年齢の引き下げなど大きく変更された。50代半ばになって初めて、「キャリア」という言葉が自分の中で生まれた。
当時を思い返し、「こうしておけば良かったこと」。それは、キャリアの概念や知識をもっと若い頃に知っておけば良かったということだ。ジョブ型や人的資本経営が浸透する中でキヤリア自律の必要性が叫ばれ、育成は個人単位(パーソナライゼーション)になって行こうとするいま、入社した時からキャリアの見通しをする必要性はますます増している。
一方で「こうしておいて良かったこと」。それは、遅なきながらキャリアの重要性に気づいた分、何とかしようと必死に動き続けて来たことだ。あくまでも後付けになるが、曲がりなりにもこれまでやって来た軌跡を振り返ると、意識的・無意識的に心掛けて来たことに気が付いた。以下に、その「ルール」を列挙する。
① 少しずつ、いろいろ試してきたこと
② 自分のこれまでのキャリアや未来を言語化し客観視したこと
③ インプット→アウトプット→マネタイズのサイクルをつくり、自分の市場価値を測ってきたこと
④ いくつかの資格を取得したが、資格そのものよりも、資格を通じて得たコミュニティ(つながり)の方が重要だということ
⑤ 誰に頼まれなくても「会社のために良い」と思うことをやってみたこと
⑥ 人がやりそうなことではなく、やりそうにないこと=「逆張り」を行ったこと
しかし、こうした講演を行う時にいつも感じる難しさ、もどかしさがある。それはポジティブ(うまく行った)な話をするほど、聴き手の心理的ハードルを上げてしまうことだ。今回も「しくじり先生みたいな話が聞きたかった」という声があった。
以前ある編集者の方がおっしゃった言葉を思い出す。それは「日本人はV字回復の物語が好きなんです」。だからこそ「プロジェクトX」のような物語が日本人の心をつかむ。
でも、自分のキャリアのしくじりをどこまで話すのかの匙(さじ)加減は難しい。あまりにも生々しくなると、聞き手にドン引きされる危険性もあるからだ。
そう思いつつ、私なりにお伝えしたことは・・・
日本に帰国してからの数年間は、我がキャリア、我が人生最悪の時だったということだ。
社がグローバル化する中で、制度も組織も変わり、とりわけその渦中にあったグローバル組織はまるで嵐の中を漂う小舟のようだった。人は、自分ではコントロールしようのない環境に置かれるとモチベーションが下がる。加えて、親の介護問題を抱えることになった。高いストレスを抱える中で、自分の弱さ、醜さにも嫌ほど向き合わざるをえなかった。あの時、私はメンタル不調になる一方手前だった。
だが、あの時があるから今の自分があるのだと、今なら言える。「なにくそ」と事態を打開しようと動き続け、実験し続けて来たからこそ、今がある。
人には「負の経験を正のエネルギーに変える」力がある。
幸い、私の話で「元気と勇気をもらった」とおっしゃってくださる方々もいた、と聞く。
私が社でキャリア支援の取り組みをやっていた頃、OBOGによる講演を行っていた。今回、私自身が講演をさせていただくに当たって感じた、なんとも言えない気恥ずかしさや照れくささを、私がお願いした方々も感じていたのかもしれない、と少し反省した。
私自身は、日本に急速に広がろうとしているアルムナイの応援をする取り組みを行っているが、その理念は「終身雇用から終身信頼関係へ」。私なんぞの話が、どれほどお役に立ったのかはいささか自信がないが、こうした講演などの機会が多くの企業でどんどん増えていくことで、企業と卒業生の信頼のネットワークが広がり、日本が健全でより良い社会になっていけば良い、と改めて思わせていただいた経験になった。