昨年秋からウクレレを学び始めた。きっかけは、寄席で見たウクレレ芸人・ぴろきにはまったことだった。半世紀ほど前、6歳からピアノを習っていたが中学に入ってクラブ活動でバレーボールを始め、突き指をしまくってしまったために、いつの間にかフェードアウトしてしまった。以来、何か楽器を習いたいとは思っていたが踏み出せずにいた。だがウクレレに飛びついたのは、ぴろきの漫談を見て「これならできるかも」と思ったからかもしれない(それは大きな誤解だったことを思い知るのだが)。妻にも背中を押され、思い
数年前から、東京国際映画祭に夫婦で通うことになった。その魅力は「わからない」からこその面白さ。 チケット発売開始の10日ほど前に発行されるガイドブックを見て、夫婦二人で観る作品、それぞれが観たい作品を選ぶ。作品の紹介は100字程度。予告編や評判などの情報もなく「面白そう」と思う作品をほとんど自分の勘で選ぶしかない。予測した通り、期待通りの作品なのかは、観てみないとわからない。そのスリルが楽しい。鑑賞後は、お酒を飲みながら夫婦で感想を話し合う。 多くの作品では、上映後に監督
先だって、卒業した会社から「アルムナイとしてキャリアの講演をして欲しい」というお声がけをいただいた。 話をさせていただいた相手はミドル社員と各事業部門のHRBP的な立場の方々。社を卒業して何とか身を立てている立場として「40代半ばから50代後半にかけて考えていたこと」「こうしておけば良かったこと、こうしておいて良かったこと」「社を離れて思うこと」といったお題を頂戴した。 どの業界のどの企業でも、大きな環境変化を生き抜こうと必死であり、最も大きなインパクトを受けるのはミドル
作家としての集大成ともいうべき回顧展の企画・制作を行い、その開幕と同時に世を去る。見事というしかない人生の幕引きである。国立新美術館で開催中の「田名網敬一記憶の冒険」を鑑賞した。 田名網は1936年(昭和11年)生まれ。アートディレクターとしてキャリアをスタートさせ、日本のポップカルチャーの牽引役のひとりとなり、その時々で作風を変化させて来た。 日本を代表するアーティストの回顧展は当初、私にとって「観なければいけない」ものだったが、NHK・日曜美術館の特集を観て改めて「是
過日、念願かなって「無言館」を訪れた。 第2次世界大戦に徴兵されて亡くなった東京美術学校(現・東京藝術大学)、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学、多摩美術大学)や独学によって絵を学んでいた130名の画学生たちの作品を2つの展示館に収蔵している。 第1展示館の空間は十字形にレイアウトされ、作品と共に戦地からの手紙や生前使っていた愛用の品などの作家の遺品が展示されている。 展示された作品の大部分が、故郷の風景や裸婦などの女性あるいは静物を描いたものだ。 戦地からの手紙にも画学生
先だって「年齢を超える」をテーマにしたイベントに登壇させていただいた。プロデューサーとして参画している日本マンパワー・キャリアのこれから研究所が開発した「これからのキャリア発達モデル」が提唱している“9つのテーゼ”のひとつが「年齢を超えよう」。その実践者?としてお声がけいただいたのだ。 私自身、果たして年齢(という枠組み)を超えたのかどうか・・・モヤモヤしている。その理由は後ほど述べたい。 ただ、会社勤めを卒業して小さいながら自分のビジネスを立ち上げるようになってから、年
東京都現代美術館で開催されていた「ホー・ツィー・ニエン エージェントのA」展を会期終了間近に鑑賞した。 ホー・ツィー・ニエンはシンガポール生まれ。その作風は、幅広い歴史的資料をもとに映像や映像インスタレーション、パフォーマンスで表現する。第54回ヴェネチア・ビエンナーレのシンガポール館の代表も務めた同国有数のアーティストと言っても良いだろう。 私が本展を鑑賞した動機は、自身がかつて7年間シンガポールに駐在し東南アジア各国で仕事をしていたことだ。その体験を通じて本展の作品群
東京都美術館で開催中の「デ・キリコ展」を鑑賞した。 恥ずかしいことに、この画家のことを「シュルレアリズムの系統に属する作家」かのように理解していたのだが、それは大きな間違いだった。 デ・キリコは1888年にイタリア人の両親のもとでギリシャに生まれ、その後画家を志し「形而上絵画」と名付けた作風で歴史に名を残すことになる。 本展は、その道筋をたどる形で「自画像・肖像画」「形而上絵画」「1920年代の展開」「伝統的な絵画への回帰」「新形而上絵画」の5つの章で構成されている。
家から徒歩圏内にあるからと油断している間に、会期終了間近になってしまったSOMPO美術館「北欧の神秘」展に駆け付けた。 なぜ、北欧に魅かれるのか?いわゆる「欧米」とは異なる独自の魅力を何とはなしに感じるからかもしれない。よくわからないからこそ魅かれる。一言でいえば、展覧会のタイトルにもなっている「神秘性」ということだろうか。 本展は、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの国立博物館からの所蔵品によって、この3か国プラスデンマーク、アイスランドといった北欧の、19世紀から
東京国立博物館で開催中の「法然と極楽浄土」展を鑑賞した。 今年、法然が開宗した浄土宗が850年を迎えたのを記念した展覧会で、その変遷を辿ることができる。 展示としては、法然その人に光を当て浄土宗のはじまりを扱う「第1章:法然とその時代」、法然が説いた阿弥陀の世界をビジュアル化した絵画などの美術を紹介する「第2章:阿弥陀の世界」、法然の教えを引き継いだ弟子たちの系統を紹介する「第3章:法然の弟子たちと法脈」そして浄土宗を普及させた徳川による帰依活動を扱う「第4章:江戸時代の浄
私は不治の病にかかっている。「本を出したい!」という病だ。 いつから罹患(りかん)したのだろう。 おそらく50代半ば、今後のキャリアの迷子になった時のような気がする。 「出版」という形で自分の存在価値を問いたい、と思った。 そこで私なりの問題意識をまとめ、知己を得たあるビジネス系大手出版社の編集者の方にお渡しし、会議にかけてくださった。 それは、勤めていた会社があるスキャンダルで世の中を騒がせている時だった。結果は「暴露本なら」というものだった。これがトラウマになった。
去る5月19日に新宿御苑で個人的撮影会。 今回のテーマは、私が苦手とする草花を撮る練習。対象への距離をとる訓練も兼ねてバシバシ撮ってみる。腕はヘボでもカメラが良いせいで、花と背景のボケがそれなり対照を生み出す。 暑すぎず寒すぎない穏やかな日和のせいか、多くの人で賑わっていた。草花を撮るつもりが、つい幸せそうになごむ人たちを撮ってしまった。なんだかこちらまで幸せな気分になるなあ。 草花の隙間からのぞき見するようなショットも、個人的にはお気に入り(悪趣味?)。 最後に訪れ
森美術館で開催中の「シアスター・ゲイツ展 アフロ民藝」を鑑賞した。 シアスター・ゲイツは米国シカゴを拠点に活動するアーティスト。国際的な芸術祭「ドクメンタ13」(2012年)で世界的な脚光を浴びた。彼と日本との深い関係性は2004年に愛知県常滑市で陶芸文化に出逢ったことから始まり、本展覧会のタイトルにもなっている「アフロ民藝」というコンセプトにつながる。会場入り口には、このようなゲイツの言葉が紹介されている。 民藝と「ブラック・イズ・ビューテイフル」運動はともに、植民地主
数十年ぶりにカメラを購入した。理由のひとつは、ふと写真というものを勉強したくなったからだが、私はとかく書物で学ぼうとする性質(たち)がある。しかし、カラダで写真というものを知ろうと思った。 幸い妻が少しだけ写真についての知識があり(カメラも2台持っている)一緒にビックカメラに出かけて様々な機種を見比べてみた。比較検討することで、自分の「好み」を認識することができる。 私のカメラ選択のポイントは「初心者向け」「小サイズ・軽量であること(持ち運びしやすい)」「デザイン」だとい
横浜で開催中の第8回横浜トリエンナーレを鑑賞。日本における都市型芸術祭の先駆的な存在であり主会場となって来た横浜美術館の3年ぶりのリニューアルオープン記念でもある。それにふさわしい気合とプライドを感じる内容となっていた。 テーマは「野草:いま、ここで生きてる」。これは、中国の小説家 魯迅が1924年から1926年にかけて執筆した詩集に由来している。辛亥革命後の激動期にあって社会が根本的には変わらなかった絶望を感じながら、そこから脱しようとする想いに突き動かされて書かれた、と
「企業ブランディング」について、改めて考えさせられています。 きっかけは昨年来、某IT企業のCI(Corporate Identity)プロジェクトに関わらせていただいたことでした。CIとは「企業文化を構築し特性や独自性を統一されたイメージやデザインあるいはわかりやすいメッセージで発信し社会と共有することで存在価値を高めていく企業戦略の一つ」と定義されます(Wikipediaより)。 私は前職の広告代理店在籍時に、ある自動車会社の販売チャネルのCIに携わった経験があります