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再び「心」に戻ることの意味について-「法然と極楽浄土」展を鑑賞して-

東京国立博物館で開催中の「法然と極楽浄土」展を鑑賞した。
今年、法然が開宗した浄土宗が850年を迎えたのを記念した展覧会で、その変遷を辿ることができる。

展示としては、法然その人に光を当て浄土宗のはじまりを扱う「第1章:法然とその時代」、法然が説いた阿弥陀の世界をビジュアル化した絵画などの美術を紹介する「第2章:阿弥陀の世界」、法然の教えを引き継いだ弟子たちの系統を紹介する「第3章:法然の弟子たちと法脈」そして浄土宗を普及させた徳川による帰依活動を扱う「第4章:江戸時代の浄土宗」の4つの章で構成されている。

私が本展に興味を持ったのは、法然が開宗した時代と現在に類似性があると感じたからだ。
平安末期から鎌倉に至る時代は、戦乱、天災、飢饉といった災厄が次々と訪れた時代だった。そうした時代にあって、仏教を限られた修行僧のものではなく広く民衆に広め心の救済を図ろうとしたのが法然だった。新型コロナや紛争が次々と起こり当時と同じような「不安」が世界中に蔓延しているいま、法然の教えはどのような意味を持つのだろうか。
 
第1章(法然とその時代)では、法然の人生を辿ることができる。彼は武士の家に生まれたが、幼い頃に父親を殺され、長く復讐の念にさいなまれたという。その境地から解脱させたのが、インドや中国から伝来した浄土教だった。その教えを比叡山で学び、独自の解釈によって立ち上げたのが浄土宗である。
 
第2章(阿弥陀の世界)では、その教義を広めたツールとなった美術の数々が紹介される。浄土宗のコンセプトを超まとめて言えば「この世はつらいが一所懸命に念仏を唱えれば、あの世では幸せになれる」というもの。しかし、文字を読めなかったであろう民衆にはビジュアル化した形で見せイメージトレーニングをしてもらわなくてはなわなかった。
 
法然自身は手間のかからない念仏を推奨し、お金や手間のかかる造形物には反対だったと言われるが、弟子たちの手によって作られた造形物によって更に浄土宗が広まり、それが国宝として21世紀のいま、我々が目にすることができているのはある意味、皮肉だ。
 
仏像の中で、私が最も心を魅かれたのは法然の直弟子が師の没後直後につくったとされる<阿弥陀如来立像>。小ぶりで素朴な味わいだが、師への尊敬と信心深さが見事に表現されている。しかし、法然は神格化され、造形物もますます大型化・豪華になっていく。

<仏涅槃群像>法然寺に残されている仏の涅槃を立体化した像

第3章(法然の弟子たちと法脈)で目を引いたのは、江戸時代に現在の祐天寺駅周辺に寺を開いた祐天上人の作品。「南無阿弥陀仏」の文字だけで見事な寺の絵画を描いたり、「南無阿弥陀仏」をまるで商店の屋号のような特徴的なロゴにしたり。現代に生まれていたら、きっと売れっ子デザイナーになっていたことだろう。
 
第4章(江戸時代の浄土宗)では、徳川家康が熱心に帰依したことから、浄土宗が江戸時代に隆盛を極め現在に伝えられてきた推移を辿ることができる。なぜ、家康が浄土宗にそれほど入れあげたのか?諸説あるが、徳川の旗印が「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど=篤く信じれば幸せな来世が待っている)」とあることから、家康が若い頃に明日をも知れぬ戦いの中で心の拠り所にしていたのではないか、と推察する。
 
限られた僧職ではなく広く民衆に広げようとした教義が、弟子たちの活動や時代の追い風あるいは権力者の後押しに乗って、やがて権威化していくことを、法然が生きていたらどのように感じていたのだろうか・・という複雑な思いを抱いた。

いま「ケア」という言葉が改めて注目されている。新型コロナによってエッセンシャルワーカーを始めとするケア労働者の価値が見直され、同時に不当に扱われてきたことへの反省も生まれている。私はキャリア支援というものに多少携わっている立場として、この「ケア」という概念に興味を持ってきたが、幅広く抽象的なだけに漠然としか理解できなかった。しかし、ある時から、それは「“心のありよう”ではないか」と感じるようになった。

私はかつて親の介護をしていた時期があるが、心から親を気遣うときは正に「ケア」だったが、煩わしいと思った時、それは果たして「ケア」だったのだろうか・・という疑問を持った。

あの世で幸せになりたい、だから現世では徳を積もうという「心のありよう」を法然は説いたのだろう。それがやがて心から「形」や「権威」になって行く様は、「ケアの心」から「資格主義」へと姿を変えてしまっているように見えるキャリア支援の姿にも重なった。

いま、改めて「心」を取り戻す意味がある。それが本展を鑑賞しての感想となる。

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